裏松恭光
裏松 恭光(うらまつ ゆきみつ)は、江戸時代後期の公卿。裏松明光の養子[2]。官位は従三位・権大納言。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 寛政12年6月16日[1](1800年8月6日) |
死没 | 明治5年2月9日[1](1872年3月17日) |
官位 | 従三位、権大納言 |
主君 | 光格天皇→仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 裏松家 |
父母 | 父:裏松光世、養父:裏松明光 |
兄弟 |
恭光、直子、周子 養兄弟:謙光 |
妻 | 藤波庸子(藤波寛忠の娘) |
子 | 勲光、勘解由小路資生 |
経歴
編集文化3年(1806年)に光格天皇の御児[3]として内廷に勤務し[2]、天保3年(1832年)蔵人[2]。嘉永4年(1851年)従三位[2]、安政2年(1855年)参議[2]と昇進を進める。安政4年(1857年)議奏に就任し、翌年の条約勅許問題に関与した[2]。
安政6年(1859年)権中納言となるも、万延元年(1860年)辞職[2]。慶応3年(1867年)、孝明天皇より御児・蔵人・議奏として幼少から3代の天皇に仕えた功績に対する「御憐愍」により[3]、権大納言に就任[2]。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。