蠣崎 守広(かきざき もりひろ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士松前藩家老。守広系蠣崎家初代。

 
蠣崎守広
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄7年(1564年
死没 寛永12年2月6日1635年3月24日
別名 忠広、広勝
主君 松前慶広公広
松前藩
氏族 蠣崎氏
父母 蠣崎季広
兄弟 南条広継正室、舜広明石元広
松前慶広守広
友広下国由季室、藤子、下国高季室、
蠣崎貞広
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略歴

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永禄7年(1564年)、蠣崎氏4代当主・蠣崎季広の十一男として誕生。

兄・松前慶広から別家を立てることを許され、以後は松前氏の家老として兄の補佐を務めた。兄の死後は、その跡を継いで松前藩2代藩主となった公広に仕えた。

寛永12年(1635年)、公広の子・氏広を自邸に迎えて饗応した際に火災が起こるという不手際があり、その責任を取る形で自ら火の中に飛び込んだという。享年72。跡を子・友広が継いだ。

系譜

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参考文献

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