安東 茂季(あんどう しげすえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将湊安東氏10代当主。

 
安東 茂季
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文9年(1540年
死没 天正7年6月23日1579年7月16日
別名 重季
氏族 下国(檜山)安東氏湊安東氏
父母 父:安東舜季、母:安東堯季
兄弟 愛季春季(友季)茂季季隆季堅
正室:蠣崎季広
通季湊金十郎秋田吉五郎
孫十郎政李[1]
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略歴

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天文9年(1540年)、安東舜季の三男として誕生。

兄・愛季安東氏統一に及んで、湊安東氏10代当主の座を継いだ。しかし実質的には、兄の傀儡に過ぎなかったといわれている。

元亀元年(1570年)、豊島玄蕃湊城近隣の国人らが第2次湊騒動を起こすが、愛季の加勢により鎮圧。一説にはこの事件後に、秋田郡一帯は愛季の支配下となり、茂季は豊島城に移されたとも伝えられる。

子・通季は、後年に愛季の子・秋田実季に反乱を起こしている(湊合戦[2]

脚注

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  1. ^ 遠藤巌 1999, p. 50-51.
  2. ^ 遠藤巌 1999, p. 50.

参考文献

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  • 遠藤巌「<研究ノート>音喜多勝氏所蔵八戸湊文書覚書」『弘前大学國史研究』第107号、弘前大学國史研究会、1999年10月、38-53頁、CRID 1050282677526899584hdl:10129/3209ISSN 0287-4318