藤口光紀
日本のサッカー選手
藤口 光紀(ふじぐち みつのり、1949年8月17日 - )は、日本のサッカー選手。元日本代表。群馬県粕川村(現前橋市)出身[1]。日本プロサッカーリーグ元理事。浦和レッドダイヤモンズ(株式会社三菱自動車フットボールクラブ)前社長。現在広島経済大学教授。
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名前 | ||||||
カタカナ | フジグチ ミツノリ | |||||
ラテン文字 | FUJIGUCHI Mitsunori | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1949年8月17日(74歳) | |||||
出身地 | 群馬県粕川村(現前橋市)[1] | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
代表歴 | ||||||
1972-1978[2] | 日本 | 26 (2) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集新島学園高等学校サッカー部で活躍。3年時には群馬県代表として国体に出場する[1]。頭脳明晰で知られ、1年の浪人後慶應義塾大学文学部に合格[1]。慶應義塾大学体育会ソッカー部で1年生からレギュラーを獲得し、1969年に大学選手権優勝[1]。在学中に日本代表に選出された。卒業後の1974年、三菱重工業株式会社に入社[1]。日本サッカーリーグで活躍。通算成績は127試合出場・27得点。日本代表として国際Aマッチ25試合出場。1982年に現役引退。慶應義塾大学サッカー部監督、浦和レッドダイヤモンズ事業広報部長、Jリーグ事務局次長、日本サッカー協会技術委員等を歴任した。
2006年6月28日の、浦和レッズ臨時株主総会後の臨時取締役会で、犬飼基昭前社長の後を継いで同クラブ社長に就任、2007年にはAFCチャンピオンズリーグを制するところまで実績を挙げたものの、翌年のホルガー・オジェック監督解任に端を発したクラブの成績不振の責任を取る形で、2009年4月3日には社長を退任した(クラブ低迷等の経緯から、事実上の解任であるという見方もある)。
2011年4月、広島経済大学経済学部スポーツ経営学科教授に就任 [3][4]、現在は広島に居住[5]。
2022年4月1日、一般社団法人日本フットサルトップリーグ初代代表理事に就任[6]。
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1974 | 三菱 | 11 | JSL1部 | 15 | 7 | - | |||||
1975 | 18 | 3 | - | ||||||||
1976 | 16 | 2 | |||||||||
1977 | 14 | 4 | |||||||||
1978 | 18 | 3 | |||||||||
1979 | 18 | 3 | 4 | 1 | 4 | 2 | 26 | 6 | |||
1980 | 18 | 5 | 1 | 0 | |||||||
1981 | 10 | 0 | |||||||||
1982 | 0 | 0 | |||||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 127 | 27 | |||||||
総通算 | 127 | 27 |
・JSL東西対抗戦 1回出場(1979年)
代表歴
編集出場大会など
編集試合数
編集- 国際Aマッチ 26試合 2得点(1972-1978)[2]
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1972 | 5 | 0 | 7 | 2 | 12 | 2 |
1973 | 2 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 |
1974 | 1 | 0 | 6 | 0 | 7 | 0 |
1975 | 4 | 0 | 4 | 1 | 8 | 1 |
1976 | 2 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 |
1977 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1978 | 12 | 2 | 10 | 2 | 22 | 4 |
通算 | 26 | 2 | 35 | 5 | 61 | 7 |
得点数
編集# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1 | 1978年11月19日 | 日本、東京 | ソビエト連邦 | 1-4 | 敗戦 | 親善試合 |
2 | 1978年11月23日 | 日本、東京 | ソビエト連邦 | 1-4 | 敗戦 | 親善試合 |
脚注
編集- ^ a b c d e f “元浦和レッズ社長は広島経済大学教授 藤口 光紀さん(63)”. 日本私立大学協会 (2011年12月7日). 2013年9月6日閲覧。
- ^ a b “藤口 光紀”. サッカー日本代表データベース
- ^ [1]
- ^ HiNT!進化挑戦のヒケツ file7 藤口光紀
- ^ “都市のスポーツ第8部 提言 識者に聞く(中)”. 中国新聞: p. 21. (2013年10月17日)
- ^ “Fリーグ、日本女子フットサルリーグが「一般財団法人日本フットサル連盟」から独立。新法人「一般社団法人日本フットサルトップリーグ」を設立”. SAL. (2022年4月1日) 2022年5月1日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 藤口光紀 - National-Football-Teams.com (英語)
- 藤口光紀 - FootballDatabase.eu (英語)
- 藤口光紀 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)