JSL東西対抗戦(JSLとうざいたいこうせん)は、1966年から1991年にかけて日本サッカーリーグ(JSL)が主催した対抗試合であり、後のJOMO CUPの始祖となる大会である。1986年からはJSLオールスターサッカーとして開催された。

歴史

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JSLが発足され翌年の1966年に第1回が開催された。当初は2回戦制で行われており、ボール型の優勝トロフィーは(1勝1敗の場合に備えて)2分割できるように作られていた。休止期間を経て1979年に1回戦制として復活。

1986年よりJSL初のスポンサー付き賞金大会に生まれ変わり、日本コダック(現・コダック)がスポンサーを務めたため「コダック・オールスターサッカー」と呼ばれるようになる。コダックはJリーグ発足後のオールスターでもスポンサーを務めた。MVPの他、敢闘賞にあたるアトラクティブプレーヤー賞が設けられていた(受賞者は賞金が与えられた)[1]

主に芸能人で結成されたサッカーチーム「ザ・ミイラ」が、前座としてJSLのOBチームや監督チームなどと試合をしていた[1]

試合結果

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年月日 会場 スコア 得点者 MVP 備考
1 1966年6月28日
1966年7月1日
広島市民球場
国立競技場
東軍 1-2 西軍
東軍 1-2 西軍
向山正彦

岡光龍三

杉山隆一


八重樫茂生

宮本輝紀

松本育夫

記者投票で選出
2 1967年8月31日
1967年9月8日
広島市民球場
国立競技場
東軍 1-2 西軍
東軍 2-6 西軍
釜本邦茂

小城得達

落合弘


釜本邦茂③

桑原楽之

八重樫茂生

森孝慈

小城得達

東京12チャンネルで生中継
広島はRCCが制作を担当
3 1968年9月3日
1968年9月6日
国立競技場
阪急西宮球場
東軍 0-6 西軍
東軍 2-3 西軍
釜本邦茂③

桑原楽之

小城得達

宮本輝紀


桑原楽之

渡辺正

釜本邦茂

木村武夫

森孝慈

4 1969年8月25日
1969年8月29日
阪急西宮球場
国立競技場
東軍 4-3 西軍
東軍 3-1 西軍
渡辺正②

杉山隆一②

桑原楽之

森孝慈

宮本輝紀


杉山隆一

木村武夫

吉水法生

小城得達

5 1970年9月7日
1970年9月11日
阪急西宮球場
国立競技場
東軍 0-2 西軍
東軍 1-4 西軍
小城得達

上田忠彦


釜本邦茂②

杉山隆一

崎谷誠一

上田忠彦

6 1971年7月14日
1971年8月30日
広島県営競技場
国立競技場
東軍 2-4 西軍
東軍 0-3 西軍
釜本邦茂③

崎谷誠一

近江友介

足利道夫


釜本邦茂②

宮本輝紀

7 1972年8月25日
1972年8月28日
西が丘サッカー場
国立競技場
東軍 2-4 西軍
東軍 2-4 西軍
永井良和

荒井公三

釜本邦茂

日高憲敬

上田忠彦

吉村大志郎


釜本邦茂③

郡山義治

荒井公三

上田忠彦

観衆:10,000人

西が丘で初のサッカー試合

8 1979年9月30日 札幌円山球場 東軍 5-3 西軍 ジョージ与那城 (読売) 観衆:18,000人/天候:曇り

復活第1回、代表選手は対象外

9 1980年8月2日 三ツ沢球技場 東軍 2-0 西軍 ラモス (読売) 観衆:3,500人/天候:大雨

グランドコンディション不良

10 1981年8月1日 岡山県営陸上競技場 東軍 1-1 西軍
  • 戸塚哲也
  • 釜本邦茂
落合弘 (三菱) 観衆:3,000人/天候:晴れ

ファン投票を初実施

11 1982年8月24日 大阪球場 東軍 1-5 西軍 木村和司 (日産) 観衆:不明/天候:晴れ

ナイター開催

12 1983年8月7日 札幌円山競技場 東軍 4-1 西軍
  • 戸塚哲也②
  • 川添孝一
  • 長谷川治久
  • ジョージ与那城
ジョージ与那城 (読売) 観衆:5,500人/天候:晴れ

代表選手は対象外

13 1984年8月19日 富山県岩瀬スポーツ公園 東軍 6-2 西軍 ジョージ与那城 (読売) 観衆:不明/天候:晴れ
1 1986年10月11日 国立競技場 EAST 2-0 WEST 奥寺康彦 (古河) 観衆:不明/天候:雨

コダックをスポンサーにJSLオールスターサッカーと改称

2 1987年10月11日 国立競技場 EAST 4-3 WEST
  • 柱谷幸一③
  • 戸塚哲也②
  • ラモス
  • 原博実
戸塚哲也 (読売)[1] 観衆:39,000人/天候:曇り

負傷で辞退の松浦敏夫、武田修宏に代わり、戸塚哲也、浅岡朝泰を選出

3 1988年9月15日 国立競技場 EAST 1-4 WEST アンドレ (ヤマハ) 観衆:25,000人/天候:雨
4 1989年10月1日 国立競技場 EAST 3-3(PK2-4)[2] WEST

[2]

木村和司[2] (日産) 観衆:20,000人/天候:晴れ

PK戦を初採用

5 1991年1月13日 東京ドーム EAST 3-1 WEST 三浦知良 (読売) 観衆:33,000人

開催時期が移行

6 1992年2月2日 東京ドーム EAST 2-1 WEST ラモス瑠偉 (読売) JSL時代最後の大会

個人記録

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  • 最多選出選手 落合弘 11回
  • 最多試合出場 落合弘 17試合
  • 連続試合出場 落合弘 10試合
  • 最多得点 釜本邦茂 21得点
  • 連続試合得点 釜本邦茂 6試合12得点(1970年 第2戦-1979年)
  • 最多ハットトリック 釜本邦茂 3回(1967年 第2戦、1968年 第1戦、1971年 第1戦)

脚注

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  1. ^ a b c サッカー技術誌ストライカー 1987/12 p.24-25
  2. ^ a b c サッカーストライカー 1989年12月号 p.8-10 小学館

参考文献

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関連項目

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