藤原 興方(ふじわら の おきかた)は、平安時代中期の貴族藤原南家巨勢麻呂流、武蔵守藤原経邦の子(四男か)。官位従五位上大和守

 
藤原興方
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 天徳4年(960年)3月
官位 従五位上大和守
主君 醍醐天皇朱雀天皇村上天皇
氏族 藤原南家巨勢麻呂流
父母 父:藤原経邦、母:藤原氏江の娘
兄弟 保方、興方、佐方、治方、職方、盛子
長峯有頼の娘、紀貫之前室?
貞雅、正雅輔尹、長雅、季雅、藤原惟任室、源頼国室、平雅康室、高階成章室、藤原資業
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経歴

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初め醍醐天皇六位蔵人に補され、延長8年(930年)4月には穢による賀茂祭の停止を奏上する。朱雀朝の天慶元年(938年主殿助を兼ねる。従五位下叙爵後、天慶6年(943年尾張守に任ぜられて地方官に転じる。少なくとも天慶9年(946年)まではこれを務めている。

村上朝天暦4年(950年)頃には美濃権守を務め、時期は不明ながら大和守にも任ぜられている。天徳4年(960年)3月29日前に卒去。最終位階は従五位上。

右大臣藤原師輔の正室・盛子は姉妹にあたるため、興方は兼家中宮安子からみて伯(叔)父にあたる。興方が卒去した際に安子が喪服を着した。

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原経邦
  • 母:藤原氏江の娘
  • 妻:長峯有頼の娘
    • 男子:藤原貞雅
  • 妻:紀貫之の前妻?[要出典]
  • 生母不明の子女

脚注

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  1. ^ 『西宮記』延長8年4月15日条
  2. ^ 『類聚符宣抄』第8所収任符請印宣旨
  3. ^ 『大嘗会禊部類記』
  4. ^ 『御産部類記』
  5. ^ 『尊卑分脈』藤原南家真作流

参考文献

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