藤原総継
日本の平安時代の貴族
藤原 総継(ふじわら の ふさつぐ)は、平安時代初期の貴族。美作守・藤原末茂の子。光孝天皇の外祖父。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 |
従五位上、紀伊守 贈正一位、太政大臣 |
氏族 | 藤原北家末茂流 |
父母 | 父:藤原末茂、母:不詳 |
兄弟 | 沢継、野継、門継、総継 |
妻 |
藤原数子 藤原雄友の娘 |
子 | 沢子、直道、貞道、宗道、秀道、乙春、娘(源融室) |
特記 事項 | 光孝天皇の外祖父。 |
経歴
編集弘仁2年(811年)従五位下に叙爵し、中務少輔次いで相模介に任ぜられる。のち、従五位上・紀伊守に叙任されるが、紀伊守任期中に卒去。
没後の元慶8年(884年)2月に仁明天皇の女御であった娘・沢子所生の時康親王が即位(光孝天皇)したことから、総継は同年6月に天皇の外祖父として正一位の位階を、翌仁和元年(885年)には太政大臣の官職を追贈された。墓は妻・数子の墓と娘・沢子の山陵とともに山城国愛宕郡にあり、仁和元年(885年)に守家1戸が設置されている[1]。
官歴
編集『六国史』による。
系譜
編集『尊卑分脈』による。