芥真木
人物
編集東京都立荻窪高校卒、阿佐ヶ谷美術専門学校卒。武蔵野美術大学グラフィックデザイン科中退。15歳、中学時代に『毎日中学生新聞』で4コマ作品デビュー。17歳、高校時代より『蛍雪時代(旺文社)』や『近代映画(近代映画社)』でコミックの連載を開始。20歳のときに手塚治虫主宰のコミック雑誌『COM』で『COM新人賞』を受賞。審査員は手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、ちばてつや、つのだじろうなど。この時に賞を争った相手は、後に伝奇漫画家としてメジャーになった諸星大二郎[1]。
1973年、漫画家つのだじろうプロダクションのマネージャーとして4年間在籍。在籍中に映画監督今村昌平に師事し、映画の脚本を学ぶ。1977年、コミック原作者として「女性セブン」『一億円の花嫁[2]』でデビュー。代表作は『女性セブン』で8年間連載が続いた『離婚時代』。2000年以降、インターネット時代になってからは、WEB関連の企画・プロデュースを手がけ、またノンフィクションライターとしての著作物や映像作品も手がけている。
コミック作家としての作風
編集手塚治虫主宰の雑誌『COM』に初掲載されたのは1970年、芥真木が18歳の時。作品名は『とべない羽』。芥真木作品は、エンターテインメント性の低いマニアックな作品との評価が一般的。『COM新人賞』の審査では、芥真木作品に対し賛否両論、意見がまっぷたつに分かれた。赤塚不二夫、つのだじろうは、芥真木の受賞に大反対、理由は「若さに似合わず、視線が冷た過ぎる」という意見。藤子不二雄、石ノ森章太郎、ちばてつやは「安定したストーリー構築力は評価に値する」と押し、審査委員長の手塚治虫は、「今までにない哲学的な漫画家の誕生」と賞賛した。[3] 芥真木は1977年25歳のときに『女性セブン』でコミック原作者としてデビュー。以来、自身で絵を描くことはなくなった。原作者としての芥真木作品は、マニアックな要素は影を潜め、エンターテインメントに徹している。 (参考文献:『底辺絵巻の画工たち(株式会社産報刊)』『まんがジャーナル(白水社刊)』『20歳の人生探求者/塩田丸男著(読売新聞社刊)』『宝島(宝島社刊)』、情報提供:金子保知 他)
芥 真木 コミック単行本一覧
編集タイトル | 出版社 | 出版年 |
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離婚時代(全31巻) | 小学館 | 1980-88 |
離婚時代(全2巻) | 双葉社 | 2001 |
離婚時代スペシャル | 小学館刊 | |
離婚時代スペシャル(全20巻) | テレビ朝日 | |
離婚時代 | ホーム社 | |
生命のハーモニー | 小学館 | 1997 |
生命のハーモニー | 韓国・SIGONGSA | |
私はカジノガール | 光文社 | 1992 |
私はカジノガール | 台湾・東立出版公司 | |
一億円の花嫁 | 小学館 | 1978 |
一億円の花嫁 | 双葉社 | 2001 |
ナミさまが危ない(全2巻) | 小学館 | 1982 |
ダイエット・バイブル | 光文社 | |
喪失時代(全2巻) | 光文社 | 1989-90 |
暗闇が忍び寄る | 光文社 | 1992 |
EASY-愛をさがす女たち(全2巻) | 光文社 | 1992 |
チェルノブイリ | テレビ朝日 | 1989 |
銭狩り(全5巻) | 秋田書店 | 1981-83 |
銭狩り(全2巻) | ぱる出版 | 1993 |
芥 真木 連載作品(単行本未収録)一覧
編集タイトル | 掲載誌 | 掲載年 |
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ダイアナ | 女性自身(光文社) | 2004 |
告知のとき | 女性セブン(小学館) | 1999〜2001 |
明美の食卓ご用心 | 女性自身(光文社) | 1997 |
愛のレシピ | 女性自身(光文社) | 1996 |
殺しの家計簿 | 女性自身(光文社) | 1995 |
セーラー服かんぱにい | プチセブン(小学館) | 1985~1986 |
ノッコのうんちくノート | フォアレディ(小学館) | 1980~1981 |
ラブ・ネットワーク | 女性セブン(小学館) | 1978~1979 |
ペルソナ | 週刊女性(主婦と生活社) | 1978 |
遥かなる国へ | 週刊女性(主婦と生活社) | 1978 |
翔んでけダービー | プレイコミック(秋田書店) | 1978 |
銭かまきり | プレイコミック(秋田書店) | 1977 |
運命を売る女 | 週刊明星(集英社) | 1976~1977 |