興梠慎三

日本のプロサッカー選手 (1986-)

興梠 慎三(こうろき しんぞう、1986年7月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身のプロサッカー選手Jリーグ浦和レッズ所属。ポジションはフォワードミッドフィールダー。元日本代表

興梠 慎三
名前
本名 興梠 慎三
愛称 シンゾウ、浦和のエース
カタカナ コウロキ シンゾウ
ラテン文字 KOROKI Shinzo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1986-07-31) 1986年7月31日(38歳)
出身地 宮崎県宮崎市
身長 175cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 浦和レッズ
ポジション FW / MF
背番号 30
利き足 右足
ユース
1993-1998 日本の旗 宮崎東SSS
1999-2001 日本の旗 宮崎市立東大宮中学校
2002-2004 日本の旗 鵬翔高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2012 日本の旗 鹿島アントラーズ 192 (49)
2013- 日本の旗 浦和レッズ 296 (113)
2022 日本の旗 北海道コンサドーレ札幌loan 21 (5)
代表歴
2016  日本U-23(OA) 3 (1)
2008-2017 日本の旗 日本 16 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

J1リーグ歴代通算得点ランキング2位。

来歴

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プロ入り前

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小学生時代、第7回全日本少年フットサル大会に出場した経験がある。同じ少年チームにいた伊野波雅彦は当時の興梠について「ゴールを決めまくっている印象しかない」と語っており、宮崎県内では非常に有名なサッカー少年であった[1]

中学三年時に高校の一般入試に落ち、高校進学について悩んでいた頃、鵬翔高校の松崎博美監督からの誘いを受け、鵬翔高校へ入学する[2]

高校入学後サッカー部に入部するも、厳しい練習や上下関係に耐えられず、一時期部活に行かなかった時期がある。しかし、松崎監督の説得でサッカーを続け、1学年上の増田誓志とともに全国大会に出場した[1]

鹿島アントラーズ

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高校時代から年代別代表に何度も招集され、鵬翔高校卒業と同時に鹿島アントラーズに入団。2007年J1第14節大分トリニータ戦でプロ初得点を挙げた。マルキーニョス柳沢敦の欠場で出番が回ってきた第28節ヴィッセル神戸戦で2得点をあげるなど、この年は短い出場時間で貴重な得点を多く挙げた。

2008年は前年に退団した柳沢の背番号13を自ら希望して着用。序盤は前年同様スーパーサブとしての起用が目立ったが得点を重ねると田代有三が不調に陥った後半より完全にレギュラーに定着を果たし、J1連覇に貢献する。

2009年は開幕直後にメンバー外になるなど、苦しいスタートだったが途中出場した第3節サンフレッチェ広島、第4節京都サンガF.C.戦と2試合連続決勝点を終了間際に決めた。夏場以降14試合得点から見放されたが、指揮官オズワルド・オリヴェイラは興梠を起用し続けた。第30節ジェフユナイテッド千葉戦で3か月半ぶりの得点をあげると、大一番ガンバ大阪戦では後半に先制点と追加点をあげ、優勝へ大きく前進させる。そして最終節浦和レッズ戦では内田篤人のクロスに滑り込むように飛び込み決勝点を決め、鹿島を3連覇へと導いた。またこの年はリーグ戦では自己最多の12得点を記録した。

2012年頃になると大迫勇也が1トップとして起用されるようになったこともあり、本職ではないサイドハーフで出場することもあった。

浦和レッズ

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2012年限りで鹿島アントラーズとの契約を満了。同シーズン、鹿島はリーグ戦終盤までJ1残留を決められず、興梠の慰留及び契約延長に出遅れた[3]。その最中、浦和レッズから獲得のオファーを受け、完全移籍した[4] 。年間を通して1トップでプレーし、2009年に記録した自己最多得点を更新する13得点を挙げた。

2014年李忠成の加入があったものの1トップを守り続けていたが、Jリーグカップ予選第2節大宮アルディージャ戦から李を1トップに、2シャドーに興梠と原口元気を組ませる新戦術で挑んだ。慣れないポジションでの起用だったが、監督のミハイロ・ペトロヴィッチの起用に応えた。J1第13節大宮戦からは1トップに戻った。優勝争いをするチーム内で最多の12得点を挙げていたが、第30節鹿島アントラーズ戦で右腓骨を骨折し戦線離脱を余儀なくされた[5]。シーズン中の復帰は難しいと思われたが、20日の練習に部分参加[6]。22日に行われた優勝を占う大一番となったJ1第32節ガンバ大阪戦にベンチ入りし、後半44分から出場した。しかし出場直後、相手選手と接触した際に患部を強打し怪我が悪化してしまい、再び離脱した。

2015年は首の故障などで序盤戦は欠場したが、復帰後は1stステージ15節で優勝を手繰り寄せる決勝ゴールを決めるなどコンスタントに結果を残した。2ndステージ12節で得点をあげ、鹿島アントラーズ時代を含めて4年連続二桁得点を達成した。

2016年10月9日、Jリーグカップの準決勝・FC東京戦では、2ndレグでプロになってから初のハットトリックを決めて代表組がいない中決勝進出に貢献した。10月22日、2ndステージ第15節のアルビレックス新潟戦では2得点を決めて勝利に貢献し、J1リーグ史上12人目となる通算100得点を達成した。

2017年4月7日、第6節のベガルタ仙台戦では今季初のハットトリックを決めた。5月12日、4月に行われた5試合のうち、5得点をあげて月間MVPを受賞した。5月20日、第12節の清水エスパルス戦で今季2度目のハットトリックを達成した。8月19日、第23節のFC東京戦では2得点を決めて、自己最高の今季15得点目を決めて得点ランキングでも首位に立った[7]。10月22日、第30節のガンバ大阪戦で今季20得点目を決め、浦和の日本人選手として福田正博以来、2人目のシーズン20得点を決めた選手となった。

2018年4月1日、第5節のジュビロ磐田戦で、史上51人目となるJ1通算350試合出場を達成する[8]。8月2日、第19節の川崎フロンターレ戦で得点を決め、史上3人目となる7年連続二桁得点を達成した[9]。リーグ戦15得点を決め、小林悠と並び日本人得点王となった。

2019年4月28日、第9節の清水エスパルス戦で、アディショナルタイムの97分に得点を奪い、J1通算139得点目に到達し、三浦知良と並ぶ歴代得点ランキング6位タイとなった。同時にこのゴールは平成最後のJリーグ主幹試合での得点となった[10]。6月15日、第15節のサガン鳥栖戦で、アディショナルタイムの93分に逆転ゴールを奪い、クラブ通算91ゴール目(J1通算)を達成し、福田正博と並ぶクラブ歴代得点ランキング1位タイを記録した。また、J1通算140得点目で、三浦知良を抜いて歴代得点ランキング単独6位になった。7月6日、第18節のベガルタ仙台戦で決勝ゴールを決めた。クラブ通算92ゴール(J1通算)を達成し、福田正博を抜きクラブ歴代得点ランキング1位となった。9月1日、第25節の湘南ベルマーレ戦で先制ゴールを奪い、史上初の8年連続二桁得点を達成した[11]。この年のJ1リーグ、シュート決定率で1位となった[12]

2020年7月8日、第3節のベガルタ仙台戦で決勝点を決め、勝利に貢献した。また、この得点により、浦和でのJ1通算100得点を決めた初めての選手となった[13]。9月9日、第15節のサガン鳥栖戦で同点ゴールを決めた。このゴールにより、史上6人目となるJ1通算150得点を達成した[14]。12月16日、第33節の川崎フロンターレ戦で先制点となるPKを決め、Jリーグ史上初となる9シーズン連続二桁ゴールを達成した[15]

2021年5月26日、第16節サンフレッチェ広島戦でゴールを決め、J1通算得点ランキング単独3位となった[16]。しかし同シーズンは怪我で出遅れたことや、キャスパー・ユンカー江坂任の加入などもあって出場数は昨季に比べ減少した。このシーズンの得点は前述の広島戦での1得点にとどまったため、自身の持つ連続二桁得点記録は9シーズンで途絶えることとなった。

北海道コンサドーレ札幌

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2021年12月29日、北海道コンサドーレ札幌期限付き移籍することが発表された。期限付き移籍期間は2022年2月1日から2023年1月31日まで[17]

2022年4月10日、右膝内側半月板損傷のため4月8日に埼玉県内の病院で手術を行い、無事完了したことが発表された。尚、全治期間等は発表されていない[18]。8月20日、J1リーグ第26節サガン鳥栖戦でゴールを挙げた得点がJ1通算161得点目となり、佐藤寿人の記録と並んだ。10月1日、第31節川崎フロンターレ戦でPKを決め、J1通算得点ランキング単独2位に立った。

浦和レッズ復帰

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2022年12月17日、浦和レッズに復帰することが発表された[19]

2023年、チームの副キャプテンに任命された[20]。3月31日のJ1第6節・柏レイソル戦で先制ゴールを挙げ、チームのリーグ4連勝に貢献した。また、このゴールによりJ1で17年連続ゴールを記録し、小笠原満男の記録に並んだ[21]。4月15日のJ1第8節・北海道コンサドーレ札幌戦で古巣相手に今季2点目を決め、チームの大勝に貢献した[22]。4月29日のAFCチャンピオンズリーグ2022 決勝1stレグ・アル・ヒラル戦で同点弾を決め、ACL日本人最多出場と最多ゴールの記録を更新した[23]。7月8日のJ1第20節・FC東京戦で史上10人目、またFWの選手としては史上初の快挙となるJ1通算500試合出場を果たした[24]

2024年3月17日のJ1第4節・湘南ベルマーレ戦で先制ゴールを決め、J1歴代新記録となる18年連続ゴールをマークした[25]。38歳の誕生日を迎えた7月31日、2024シーズン限りでの現役引退を発表[26][27]

日本代表

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北京オリンピックの代表候補選手でありアジア予選のメンバーに選ばれていたが、本大会のメンバーには残れずメンバー外となった。 その後2008年日本代表に招集され、2008年10月9日東北電力ビッグスワンスタジアムで開催された国際親善試合(キリンチャレンジカップUAE戦で代表デビューを果たした。2015年7月、EAFF東アジアカップ2015に出場する日本代表メンバーに選出され、約4年ぶりの代表復帰となった。背番号は「10」を任された。

2016年6月23日、リオデジャネイロオリンピックに出場するU-23サッカー日本代表オーバーエイジ枠に内定したことが発表された[28]。初戦のナイジェリア戦ではPKで得点を挙げた[29] が、2戦目のコロンビア戦、3戦目のスウェーデン戦は試合には出場するも得点を挙げられず、チームはグループリーグ敗退となった。

エピソード

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2012 Jリーグ Division 1 第5節 鹿島VS浦和(茨城県立カシマサッカースタジアム)
  • 浦和時代・札幌時代に師事したミハイロ・ペトロヴィッチを尊敬しており、ペトロヴィッチも興梠のことを高く評価していた。2013年に浦和への移籍を決めた理由は、2012年にペトロヴィッチ率いる浦和と対戦したことがきっかけである[33]。2017年にペトロヴィッチが浦和を離れる際に「いつかまた一緒に仕事をしよう」と約束を交わし、ペトロヴィッチが2018年に札幌の指揮官に就任以降は毎年オフにオファーを受けていたことを明かした。また、2021年は控えに回る事が多く、出場機会に恵まれない時期にペトロヴィッチから「お前は追加タイム1分に出るような選手じゃない」と連絡を受け、2021年オフに約束を果たす形で札幌へ期限付き移籍することとなった。J1開幕カード会見では「ミシャ(ペトロビッチ監督)のサッカーで1トップをやるなら、2ケタ得点は取らないといけない」と語った[34]。札幌は浦和とは異なりマンツーマンの守備を取り入れており、「思うような攻撃パターンがなかなか実践できずに一年間が過ぎていった」が[33]、最終的に2022年シーズンは2桁得点には届かなかったものの、リーグ戦で5得点決めた。
  • ベガルタ仙台に対してめっぽう強く、ハットトリックを2度達成するなど2020年4月時点で20戦18ゴールを記録している[35]。また清水エスパルスキラーとしても知られており、浦和移籍後から2020年9月現在、12試合で11ゴールを決めている[36]
  • J1リーグ記念ゴールを最多数記録している選手である[37]
  • AFCチャンピオンズリーグにおける、日本人最多試合出場数と最多得点記録の持ち主である[23]。自身にとってACL初出場となった2008年のACLで、鹿島が準々決勝でアデレード・ユナイテッドFCに敗戦したときは「(昨年)浦和でも優勝できたのだから、という甘い気持ちがあった。今日負けたのは、チャンスに決められなかった自分の責任」と自身の責任に言及するコメントを述べた[38]。以後、2022年までACLに出場した全10シーズンで得点を挙げたが、2023年シーズンは自身初の無得点に終わった[注釈 1]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 鹿島 23 J1 8 0 4 1 0 0 12 1
2006 10 0 10 0 2 0 22 0
2007 17 22 6 7 0 3 0 32 6
2008 13 29 8 2 0 2 0 33 8
2009 32 12 2 0 3 1 37 13
2010 30 8 2 1 5 2 37 11
2011 31 4 3 1 3 1 37 6
2012 30 11 8 3 5 1 43 15
2013 浦和 30 33 13 4 5 0 0 37 18
2014 31 12 6 0 1 2 38 14
2015 26 12 0 0 4 3 30 15
2016 30 14 5 3 1 1 36 18
2017 33 20 1 1 1 0 35 21
2018 33 15 3 4 6 1 42 20
2019 31 12 2 1 0 0 33 13
2020 30 10 0 0 - 30 10
2021 20 1 7 1 3 0 30 2
2022 札幌 23 21 5 0 0 1 0 22 5
2023 浦和 30 29 4 5 0 2 0 36 4
2024 -
通算 日本 J1 509 167 70 21 42 12 621 200
総通算 509 167 70 21 42 12 621 200

その他の公式戦

  • 2009年
  • 2010年
    • FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
  • 2011年
    • FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
  • 2016年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
  • 2017年
    • FUJI XEROX SUPER CUP 1試合1得点
  • 2019年
    • FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2008 鹿島 13 7 2 -
2009 6 3 -
2010 7 2 -
2011 6 3 -
2013 浦和 30 5 1 -
2015 2 1 -
2016 8 2 -
2017 12 4 2 0
2019 14 8 -
2022 2 1 -
2023/24 4 0 1 0
通算 AFC 73 27 3 0

その他の国際公式戦

タイトル

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チーム

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鹿島アントラーズ
浦和レッズ

個人

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代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 16試合 0得点(2008年 - 2017年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 2 0
2009 8 0
2010 1 0
2011 1 0
2015 4 0
2017 0 0
通算 16 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2008年10月9日  新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム   アラブ首長国連邦 △1-1 岡田武史 キリンチャレンジカップ2008
2. 2008年10月15日  さいたま 埼玉スタジアム2002   ウズベキスタン △1-1 岡田武史 2010FIFAワールドカップ最終予選
3. 2009年1月20日  熊本 熊本県民総合運動公園陸上競技場   イエメン ○2-1 岡田武史 AFCアジアカップカタール予選
4. 2009年1月28日  マナマ バーレーン・ナショナル・スタジアム   バーレーン ●0-1 岡田武史 AFCアジアカップカタール予選
5. 2009年5月31日  東京 国立競技場   ベルギー ○4-0 岡田武史 キリンチャレンジカップ2009
6. 2009年6月10日  横浜 横浜国際総合競技場   カタール △1-1 大木武 2010FIFAワールドカップ最終予選
7. 2009年6月17日  メルボルン メルボルン・クリケット・グラウンド   オーストラリア ●1-2 岡田武史 2010FIFAワールドカップ最終予選
8. 2009年9月5日  エンスヘーデ デ・フロルーシュ・フェステ   オランダ ●0-3 岡田武史 国際親善試
9. 2009年9月9日  エンスヘーデ デ・フロルーシュ・フェステ   ガーナ ○4-3 岡田武史 国際親善試
10. 2009年11月14日  ポート・エリザベス ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム   南アフリカ共和国 △0-0 岡田武史 国際親善試
11. 2010年4月7日  大阪 大阪長居スタジアム   セルビア ●0-3 岡田武史 キリンチャレンジカップ2010
12. 2011年6月1日  新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム   ペルー △0-0 ザッケローニ キリンカップサッカー2011
13. 2015年8月2日  武漢 武漢体育中心   朝鮮民主主義人民共和国 ●1-2 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
14. 2015年8月5日  武漢 武漢体育中心   韓国 △1-1 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
15. 2015年8月9日  武漢 武漢体育中心   中国 △1-1 ハリルホジッチ EAFF東アジアカップ2015
16. 2015年9月3日  さいたま 埼玉スタジアム2002   カンボジア ○3-0 ハリルホジッチ 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選AFCアジアカップUAE予選

脚注

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  1. ^ AFCチャンピオンズリーグ2023/24・プレーオフの1得点はシーズンの得点に含まれない。

出典

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  1. ^ a b 興梠慎三 NIKEFOOTBALL.COM 2015年2月25日
  2. ^ 興梠慎三インタビュー(2) 増島みどりインタビュー 2015年2月25日
  3. ^ 週刊サッカーダイジェスト No.1210』日本スポーツ企画出版社、2013年、12頁。 
  4. ^ 興梠慎三選手 完全移籍加入のお知らせ”. 浦和レッズ (2013年1月4日). 2022年4月10日閲覧。
  5. ^ J1首位の浦和に痛手…チーム内得点王の興梠慎三が右腓骨骨折で離脱 サッカーキング 2014年10月27日
  6. ^ 浦和FW興梠 大一番で強行出場志願「サッカーできなくなっても」 スポニチアネックス 2014年11月22日
  7. ^ 浦和興梠2発で得点単独トップ「順位上げたい」 日刊スポーツ(2017年8月20日)
  8. ^ 2018明治安田生命J1リーグ 第5節 興梠 慎三 選手(浦和)J1通算350試合出場達成”. Jリーグ.jp (2018年4月1日). 2018年4月20日閲覧。
  9. ^ 浦和興梠「柔よく剛を制す」が7年連続2ケタ弾生む 日刊スポーツ(2018年8月2日)
  10. ^ 興梠慎三がカズに並ぶJ1通算139点目!心憎いチップキックで平成のJリーグ締めくくる ゲキサカ (2019年4月28日)
  11. ^ 浦和FW興梠慎三、J1史上初の8年連続リーグ戦二桁ゴール! 湘南戦の開始3分で偉業達成 football-zone.net (2019年9月1日)
  12. ^ 興梠&レアンドロ・ダミアンがシュート決定率1位 日刊スポーツ(2019年12月18日)
  13. ^ “仙台キラー”興梠、途中出場から決勝弾! 浦和加入後J1通算100ゴール…2-1勝利に貢献 football-zone.net (2020年7月8日)
  14. ^ 浦和興梠J通算150得点 ゴンらに続き史上6人目”. 日刊スポーツ (2020年9月9日). 2020年12月20日閲覧。
  15. ^ 浦和FW興梠慎三がJ新記録の9シーズン連続2桁得点を達成!通算ゴール数も3位タイに” (2020年12月16日). 2020年12月20日閲覧。
  16. ^ 浦和興梠、ゴン中山抜く通算158ゴール「まだ上いる」寿人161点照準” (2021年5月26日). 2021年5月26日閲覧。
  17. ^ 興梠慎三選手 北海道コンサドーレ札幌へ期限付き移籍のお知らせ”. 浦和レッズ (2021年12月29日). 2022年4月1日閲覧。
  18. ^ 興梠 慎三選手 負傷のお知らせ”. 北海道コンサドーレ札幌 (2022年4月10日). 2022年4月10日閲覧。
  19. ^ 興梠慎三選手 浦和レッズ復帰のお知らせ”. 浦和レッドダイヤモンズ (2022年12月17日). 2023年3月24日閲覧。
  20. ^ 2023シーズン キャプテン決定のお知らせ”. 浦和レッドダイヤモンズ (2023年2月13日). 2023年3月24日閲覧。
  21. ^ 【浦和】興梠慎三J1タイ記録17年連続ゴール 36歳8カ月の得点クラブ2番目の年長記録”. 日刊スポーツ (2023年3月31日). 2023年3月31日閲覧。
  22. ^ 【浦和】興梠慎三「全員が注目している中で蹴るPKは気持ちいい」サポーターの熱後押し”. 日刊スポーツ (2023年4月15日). 2023年4月16日閲覧。
  23. ^ a b 【データ】浦和・興梠慎三、ACLで日本選手最多27ゴール目/通算得点ランキング”. 日刊スポーツ (2023年4月30日). 2023年4月30日閲覧。
  24. ^ 浦和、FW興梠慎三が先発…史上10人目のJ1通算500試合出場! 小泉佳穂は3戦ぶりベンチ入り”. スポーツ報知 (2023年7月8日). 2023年7月8日閲覧。
  25. ^ 浦和FW興梠慎三、J1で18年連続ゴールを達成! 小笠原満男氏を越え歴代新記録に”. FOOT BALL ZONE (2024年3月17日). 2024年3月17日閲覧。
  26. ^ 興梠慎三 現役引退のお知らせ”. 浦和レッドダイヤモンズ公式サイト (2024年7月31日). 2024年7月31日閲覧。
  27. ^ (日本語) 【浦和レッズ】興梠慎三 引退発表会見, http://www.youtube.com/watch?v=djyLPrVYMDA 2024年7月31日閲覧。 
  28. ^ “リオ五輪サッカーOA枠に興梠慎三 最後の1人”. 朝日新聞. (2016年6月23日). http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ6R35CKJ6RUTQP006.html 2016年8月12日閲覧。 
  29. ^ “興梠が日本初ゴール 先制許すもPKで追いつく”. 日刊スポーツ. (2016年8月5日). http://www.nikkansports.com/m/olympic/rio2016/soccer/news/1689693_m.html 2016年8月12日閲覧。 
  30. ^ 【浦和】興梠実家の手羽先店が東京進出「ローストチキン コオロギ」が江東区にオープン スポーツ報知 2018年9月13日
  31. ^ ローストチキンコオロギ門前仲町店”. X. 2024年8月20日閲覧。
  32. ^ “【浦和】興梠慎三が長友佑都の“しつこさ”暴露「水を飲みに行く時でもついてきた」激マンマーク”. 日刊スポーツ. (2023年2月14日). http://www.nikkansports.com/soccer/news/202302140000470.html 2023年2月5日閲覧。 
  33. ^ a b “興梠慎三が明かす札幌移籍と浦和への復帰を決めた理由「ミシャのためなら、自分の体が壊れてもいいぐらいに思っていた」”. Sportiva. (2023年3月31日). http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2023/03/31/post_51/ 2023年2月5日閲覧。 
  34. ^ “興梠慎三、新天地の札幌でミシャへ恩返し「2ケタ得点は取らないと」”. サンケイスポーツ. (2022年2月15日). http://www.sanspo.com/article/20220215-JE7HA4AIBFP2DAUQ67MFYLUG3E/ 2023年2月5日閲覧。 
  35. ^ 興梠慎三の“お得意様”が特異な件。仙台相手に20戦18発。では天敵は?”. Number Web (2020年4月12日). 2021年1月20日閲覧。
  36. ^ 【浦和】FW興梠が“清水キラー”弾 チームは13年から清水に13戦負けなし!”. スポーツ報知 (2020年9月23日). 2021年1月20日閲覧。
  37. ^ 2014年9月23日の対アルビレックス新潟戦で18,000ゴール、2019年3月9日の対松本山雅FC戦で21,500ゴールを記録している
  38. ^ “ACL 鹿島は8強で姿消す、興梠「浦和でも優勝できたという甘さがあった」”. ゲキサカ. (2008年9月25日). http://web.gekisaka.jp/news/acl/detail/?42893-23810-fl 2023年2月5日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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