羽津村
日本の三重県三重郡にあった村
羽津村(はづむら)は三重県三重郡にあった村。現在の四日市市中心部の北東、近鉄名古屋線・霞ヶ浦駅の周辺にあたる。
はづむら 羽津村 | |
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廃止日 | 1941年2月11日 |
廃止理由 |
編入合併 四日市市、日永村、常磐村、羽津村、富田町、富洲原町 → 四日市市 |
現在の自治体 | 四日市市 |
廃止時点のデータ | |
国 |
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地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
郡 | 三重郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,746人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 |
四日市市 三重郡富田町、大矢知村 |
羽津村役場 | |
所在地 | 三重県三重郡羽津村 |
座標 | 北緯34度59分23秒 東経136度38分01秒 / 北緯34.98981度 東経136.6335度座標: 北緯34度59分23秒 東経136度38分01秒 / 北緯34.98981度 東経136.6335度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 河川:海蔵川、米洗川
歴史
編集羽津用水
編集羽津村の有力家系に森家(医者家系・神主家系)・久志本家(久志本組会社組織の建設会社の実業家家系)と羽津用水を創設した農業家系の荒木家がある。朝明川付近の水害被害から逃れた北鵤村落の住民は大矢知用水路付近の今村村落の住民であった。水流障害の地形の農業に不向きな条件地域の大矢知村の今村村落の村民であった。今村地域の住民が水害から避難移住して北鵤村落の共同体となった。水流障害の地形の干ばつの被害者になった北鵤のインフラの農業用水路の必要性から荒木十兵衛が江戸時代の桑名藩支配地として水路の建設事業を実施している。 [1]
交通
編集鉄道路線
編集道路
編集- 国道1号(現在も国道1号)
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 24 三重県
- はづと四日市の四日市市合併70周年記念誌
脚注
編集注釈
編集- ^ はづと四日市の四日市市合併70周年記念誌21頁
関連項目
編集- ^ 『文化展望四日市18』12ページ