織田信宝

大和柳本藩の世嗣

織田 信宝(おだ のぶとみ)は、江戸時代後期の大和国柳本藩の世嗣。官位従五位下出羽守

 
織田信宝
時代 江戸時代後期
生誕 文政12年12月21日1830年1月15日
死没 安政3年8月17日1856年9月15日
改名 金三郎(幼名)、長敬(初名)、信宝
墓所 東京都港区南麻布天真寺
官位 従五位下出羽守
大和柳本藩世嗣
氏族 織田氏(長益系尚長流)
父母 織田信陽
兄弟 小笠原信学[1]正室、信宝信成信及
己酉子、谷衛昉継室ら11男9女
小出英発
1男2女
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生涯

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11代藩主・織田信陽の三男として誕生として誕生。幼名は金三郎、初名は長敬。

天保15年(1844年)9月25日、父・信陽の嫡子となる。同年12月23日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。嘉永5年(1852年)12月28日、従五位下出羽守に叙任する。

家督相続前の安政3年(1856年)に28歳で死去した。天真寺に葬られる。代わって、弟の信成が嫡子となった。

系譜

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子女は1男2女。

脚注

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  1. ^ 7000石を領した大身旗本