繁沢就真
繁沢 就真(はんざわ なりざね)は、江戸時代前期の長州藩士。父は吉川元春の次男・繁沢元氏。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長7年(1602年) |
死没 | 明暦2年7月24日(1656年9月12日) |
改名 | 繁沢権三郎(幼名)→繁沢就真 |
別名 | 平左衛門(通称) |
戒名 | 智覚宗本 |
主君 | 毛利秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 繁沢家 |
父母 | 父:繁沢元氏、母:不詳 |
兄弟 |
長山御たや(三浦元忠正室)、毛利元景、 女(宮庄伊賀守室)、元貞、女(草刈就継室)、 百合之助、木原就重、女(飯田就重室)、 女(内藤就正室)、就真、女(井原元栄室)、 女(早世) |
子 | 就忠 |
生涯
編集慶長7年(1602年)、繁沢元氏の三男として生まれる。元和6年(1620年)5月8日、毛利秀就の加冠により元服し、「就」の偏諱を与えられて就真と名乗った。寛永9年(1632年)には、「平左衛門尉」の官途名を与えられる。
参考文献
編集- 『萩藩閥閲録』巻77「繁澤平左衛門」
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。 国立国会図書館デジタルコレクション