繁沢 就忠(はんざわ なりただ)は、江戸時代前期の長州藩士。父は繁沢就真。
寛永17年(1640年)、繁沢就真の子として生まれる。慶安元年(1648年)8月1日、毛利秀就の加冠により、七十郎の通称と「就」の偏諱を与えられ、就忠を名乗った。
元禄4年(1692年)、53歳で死去した。跡を子の氏守(忠三郎、平左衛門)が継いだ。