粟屋元国
粟屋 元国(あわや もとくに)は、戦国時代の武将。毛利氏の譜代家臣。
時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 年不詳6月10日 |
別名 | 通称:孫二郎 |
官位 | 掃部助 |
主君 | 毛利元就 |
氏族 | 清和源氏義光流粟屋氏[1] |
父母 | 父:粟屋元好[2]、母:中馬広国の娘[2] |
兄弟 | 元国、元方[3]、元重[3]、女(兼重元宣室)[3]、就幸[3]、元房[3]、女(平佐元助室)[3] |
妻 | 祖式友兼の娘[2] |
子 | 元堅[4]、男子、渡辺就国[5]、就俊 |
生涯
編集毛利氏の譜代家臣である粟屋氏の惣領家当主・粟屋元好の長男として生まれる[2]。
大永元年(1521年)8月14日、父の元好が63歳で死去[4]。
大永3年(1523年)、毛利幸松丸死後の家督相続をめぐって家中が対立した。この時、元国は病だったことを利用し、一族の粟屋元秀を神仏詣でと称して上洛させ、将軍・足利義晴に毛利元就の家督相続を直訴させ、元就の家督相続を認められた[6]。
享禄2年(1529年)5月2日の安芸国松尾における合戦や、同年8月16日の安芸国山県郡壬生における合戦で戦功を挙げ、元就から感状を与えられた[6]。
享禄5年(1532年)7月13日付の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では、23番目に「粟屋掃部助元國」と署名している[注釈 1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-2 毛利家文書之二』東京帝国大学、1922年2月。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 防長新聞社山口支社編、三坂圭治監修『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 舘鼻誠「元就・隆元家臣団事典」河合正治編『毛利元就のすべて』新人物往来社、1986年9月、243-286頁。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻73「粟屋孫次郎」