第1普通科連隊
陸上自衛隊の部隊
第1普通科連隊(だいいちふつうかれんたい、JGSDF 1st Infantry Regiment)は、東京都練馬区の練馬駐屯地に駐屯する陸上自衛隊第1師団隷下の普通科連隊である。
第1普通科連隊 | |
---|---|
第1普通科連隊レンジャー訓練帰還式の様子 | |
創設 | 1954年(昭和29年)7月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 普通科 |
所在地 | 東京都 練馬区 |
編成地 | 久里浜 |
愛称 | 頭号連隊[1] |
上級単位 | 第1師団 |
担当地域 | 東京23区 |
概要
編集東京都に所在する唯一の普通科連隊として練馬駐屯地に駐屯し、主に東京23区の災害派遣・防衛警備を担任している。台風26号に伴う伊豆大島災害派遣、豪雪による災害派遣などの民生支援も行っているほか、国賓の歓迎行事や吉田茂元総理の国葬での行進儀仗、昭和天皇「大喪の礼」や今上天皇「即位の礼」などの国家的行事や、PKO活動やイラクでの人道復興支援活動などの海外任務への派遣実績もある[2]。
旧陸軍の歩兵第1連隊との連続性を自任しており[2]、『頭号連隊』を自称している[1]。歩兵第1連隊の追悼碑である「明治二十七・八年の役 陣歿者追悼の碑」と「忠勇八士の碑」は戦後、神奈川県溝の口にある歩兵第1連隊留守担当部隊跡に放置されていたが、1965年(昭和40年)にこれを見かねた歩兵第1連隊を母体とする「歩1会」が第1普通科連隊に要請し、練馬駐屯地へ両石碑を移設することになった[2]。第1普通科連隊は両石碑について、「旧陸軍第1師団歩兵第1連隊から受け継いだ石碑です。明治二十七・八年の日清戦争で殉職した126名、歩兵第1連隊による富士演習の日射病で殉職した8名をそれぞれ追悼しています」「歩兵1連隊の殉国勇士の安住の地練馬にて、先人に恥じないように日々練磨していきたいと思います」としている[2]。
沿革
編集第1連隊
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)1月19日:部隊改編により、第2大隊が第6連隊第3大隊に、新町駐屯地の第2連隊第3大隊が第2大隊として編入。
- 1953年(昭和28年)10月18日:第3大隊が豊川駐屯地から福島駐屯地に移駐。
第1普通科連隊
- 1954年(昭和29年)
- 1956年(昭和31年)
- 1960年(昭和35年)1月20日:第2大隊が習志野駐屯地から市ヶ谷駐屯地に移駐。
- 1962年(昭和37年)1月18日:第1管区隊の第1師団への改編に伴い、連隊再編。
- 本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊編成となる。
- 第2大隊(市ヶ谷駐屯地)を母体として第32普通科連隊が編成。
- 1964年(昭和39年)9月15日:東京オリンピック支援(10月26日まで、連隊長が式典支援群長を兼補)。
- 1992年(平成 4年)3月27日:師団近代化への改編により、自動車化。
- 2002年(平成14年)3月27日:第1師団の政経中枢師団への改編。
- 重迫撃砲中隊を廃止し、第5普通科中隊を新編。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第1後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊へ移管。
- 2011年(平成23年)4月22日:重迫撃砲中隊を再編成(要員は同時期に廃止された第6地対艦ミサイル連隊から配置転換し充足)、軽装甲機動車が配備。
警備隊区
編集部隊編成
編集- 第1普通科連隊本部
- 本部管理中隊「1普-本」
- 第1普通科中隊「1普-1」
- 第2普通科中隊「1普-2」
- 第3普通科中隊「1普-3」
- 第4普通科中隊「1普-4」
- 第5普通科中隊「1普-5」
- 重迫撃砲中隊「1普-重」:120mm迫撃砲 RT
整備支援部隊
編集- 第1後方支援連隊第2整備大隊第1普通科直接支援中隊「1後支-2整-1」(練馬駐屯地):2002年(平成14年)3月27日から
主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
---|---|---|---|---|
第1普通科連隊長 | 1等陸佐 | 篠部大介 | 2024年 | 8月 1日第4師団司令部第3部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|
1 | 土田精 (1等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1952年 8月22日久里浜駐とん地部隊長 | 第一幕僚監部保営課長 兼 越中島駐とん地部隊長 |
2 | 池田恵三郎 (1等警察正) |
1952年 | 8月23日 - 1954年 6月30日第一幕僚監部警務課長 | 陸上幕僚監部警務課長 |
3 | 梅澤治雄 | 1954年 | 7月 1日 - 1956年11月18日第一幕僚監部第3部附 | 陸上自衛隊富士学校普通科部長 |
4 | 平野斗作 | 1956年11月19日 - 1958年 | 7月31日陸上幕僚監部第5部研究班長 | 陸上幕僚監部第1部副部長 |
5 | 徳永八郎 | 1958年 | 8月 1日 - 1961年 7月31日陸上自衛隊通信学校教育部長 | 陸上自衛隊通信学校長 兼 久里浜駐とん地司令 |
6 | 牛山才太郎 | 1961年 ※1963年 7月 1日 陸将補昇任 |
8月 1日 - 1963年 7月31日市ヶ谷業務隊長 | 第5師団副師団長 兼 帯広駐とん地司令 |
7 | 鎌沢致良 | 1963年 [3] |
8月 1日 - 1965年 3月15日東部方面総監部第3部長 | 陸上幕僚監部厚生課長 |
8 | 森山高士 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 3月15日陸上自衛隊調査学校研究課長 | 第12師団司令部幕僚長 |
9 | 柏實 | 1967年 | 3月16日 - 1968年 7月15日第3師団司令部第3部長 | 陸上幕僚監部付 →1969年7月16日 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
10 | 柏葉祐幸 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 7月15日陸上自衛隊幹部学校勤務 | 北部方面総監部第3部長 |
11 | 登張史郎 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日陸上幕僚監部第3部研究班長 | 第2師団司令部幕僚長 |
12 | 川邉晴夫 | 1972年 | 7月17日 - 1975年 3月16日東部方面総監部第3部勤務 | 東部方面総監部総務課勤務 |
13 | 千田亮 | 1975年 | 3月17日 - 1977年 3月15日自衛隊熊本地方連絡部長 | 陸上自衛隊富士学校 総合研究開発部長 |
14 | 岡村敦弘 | 1977年 | 3月16日 - 1978年 7月31日在インド大使館1等書記官兼防衛駐在官 →1976年11月26日 陸上幕僚監部第2部付 |
陸上自衛隊富士学校総務部長 |
15 | 志摩篤 | 1978年 | 8月 1日 - 1981年 1月 9日陸上幕僚監部調査部調査第2課 調査第2班長 |
陸上幕僚監部防衛部運用課長 |
16 | 平島俊夫 | 1981年 | 1月10日 - 1983年 3月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部教育訓練部訓練課 評価班長 |
17 | 塚原鐵男 | 1983年 | 3月16日 - 1985年 3月15日中部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課 服務班長 |
18 | 安藤正武 | 1985年 | 3月16日 - 1987年 7月31日第5師団司令部第3部長 | 自衛隊滋賀地方連絡部長 |
19 | 小林正勝 | 1987年 | 8月 1日 - 1990年 3月15日陸上幕僚監部教育訓練部教育課 教育班長 |
西部方面総監部人事部長 |
20 | 内村隆興 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 3月15日北部方面総監部調査部調査課長 | 陸上自衛隊幹部学校勤務 |
21 | 古賀英松 | 1992年 | 3月16日 - 1994年 3月22日陸上幕僚監部調査部調査第1課 業務班長 |
自衛隊栃木地方連絡部長 |
22 | 高久正人 | 1994年 | 3月23日 - 1997年 3月31日中部方面総監部人事部人事課長 | 自衛隊香川地方連絡部長 |
23 | 石井裕二 | 1997年 | 4月 1日 - 1999年 7月31日北部方面総監部調査部調査課長 | 中部方面総監部調査部長 |
24 | 福澤賢 | 1999年 | 8月 1日 - 2002年 7月31日陸上幕僚監部監理部総務課 企画班長 |
中部方面総監部総務部長 |
25 | 澤野一雄 | 2002年 | 8月 1日 - 2004年11月30日第11師団司令部第3部長 | 東部方面総監部総務部長 |
26 | 三原光明 | 2004年12月 | 1日 - 2007年12月 5日東北方面総監部防衛部訓練課長 | 第5旅団司令部幕僚長 |
27 | 工藤天彦 | 2007年12月 | 6日 - 2008年 7月31日陸上自衛隊幹部学校教官 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
28 | 松戸厚 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年11月30日陸上自衛隊幹部学校教育部教務課長 | 第11旅団司令部幕僚長 |
29 | 石井一将 | 2010年12月 | 1日 - 2012年12月 3日西部方面総監部人事部人事課長 | 陸上自衛隊富士学校普通科部 教育課長 |
30 | 菅股弘信 | 2012年12月 | 4日 - 2014年 7月31日陸上自衛隊幹部学校教育部教務課長 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課 給与室長 |
31 | 土屋晴稔 | 2014年 | 8月 1日 - 2017年 3月26日陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 | 東北方面総監部総務部長 |
32 | 町中芳則 | 2017年 | 3月27日 - 2019年 7月31日東北方面総監部防衛部訓練課長 | 北部方面指揮所訓練支援隊長 |
33 | 小倉好文 | 2019年 | 8月 1日 - 2022年 7月31日陸上幕僚監部防衛部防衛協力課 防衛協力班長 |
第3師団司令部幕僚長 |
34 | 佐藤健次郎 | 2022年 | 8月 1日 - 2024年 7月31日第9師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊富士学校普通科部教育課長 |
35 | 篠部大介 | 2024年 | 8月 1日 -第4師団司令部第3部長 |
主要装備
編集- 82式指揮通信車
- 軽装甲機動車
- 高機動車
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 89式5.56mm小銃
- 5.56mm機関銃MINIMI
- 84mm無反動砲
- 81mm迫撃砲 L16
- 120mm迫撃砲 RT
廃止(改編)部隊
編集その他
編集脚注
編集- ^ a b 頭号師団 頭号連隊 頭号中隊 第1師団司令部 2022年08月1日閲覧。
- ^ a b c d 第1普通科連隊 公式HP 歴史 第1師団司令部 2022年08月1日閲覧。
- ^ 1964年10月26日 東京オリンピック支援集団式典支援群長兼補解除
出典
編集“防衛省人事発令”. 2014年8月1日閲覧。
参考文献
編集- 頭号連隊のあゆみ : 創立60周年記念誌(第1普通科連隊編集支援 編)2011年
- 『別冊歴史読本 自衛隊誕生秘話』(新人物往来社、2003年) ISBN 4-404-03047-9
- 高井三郎「草創期の練馬第一連隊」 p42~p61