第1空挺団 (陸上自衛隊)
第1空挺団(だいいちくうていだん、英: JGSDF 1st Airborne Brigade)は、陸上自衛隊の空挺部隊である。団編制となっており、3個普通科大隊を基幹としている。専門的機能を備えた機動運用部隊として、陸上総隊隷下にあり、千葉県船橋市の習志野駐屯地に所在する。
第1空挺団 | |
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創設 | 1958年(昭和33年)6月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 団 |
兵科 | 歩兵 |
兵種/任務 | エアボーン、ヘリボーン、非正規戦、対ゲリラ・コマンド、偵察 |
人員 | 約1900人 |
所在地 | 千葉県 船橋市 |
編成地 | 習志野 |
標語 | 「精鋭無比」・「挺身赴難」 |
上級単位 | 陸上総隊 |
担当地域 | 日本全国(うち、千葉県を災害派遣隊区とする) |
部隊の標語は「精鋭無比」および「挺身赴難」。陸上自衛隊唯一の特殊部隊である特殊作戦群創設の際には母体ともなった。また「千葉隊区長」として、高射学校、需品学校と共に千葉県全域の災害派遣を担当するほか、北部を中心に16市8町の災害派遣・広報などを担当する。
なお、陸上自衛隊における「空挺団」は本団のみであり、「第2空挺団」や「第3空挺団」などは存在しない。
概要
編集第1空挺団は空中機動作戦、即ち航空自衛隊の輸送機(C-1・C-130H・C-2)からの落下傘降下による空挺作戦(エアボーン作戦)と、陸上自衛隊のヘリコプター(UH-1J・UH-60JA・CH-47J/JA・UH-2・V-22)を使ったヘリボーン作戦を展開する能力をもった空挺部隊である。また、各国軍の空挺部隊と同様、精鋭軽歩兵としての位置付けがなされている。そのため、国内に浸透した特殊部隊に対して即応することを要求されている。
創設後、しばらくは東部方面隊隷下ではあるが防衛庁長官直轄の機動運用部隊と位置付けられてきた[1]。その後、2007年(平成19年)、高い即応性を持つ機動運用部隊として中央即応集団の隷下へと編成替えとなり[2]、2018年(平成30年)3月には中央即応集団廃止に伴い陸上総隊隷下部隊に移行した[3]。
部隊編制は、団本部および3個普通科大隊のほか、特科大隊、後方支援隊などからなり、空挺教育の部隊も含まれている。訓練に際しては、習志野演習場をはじめとする各地の演習場のほか、輸送機への搭乗には海上自衛隊下総航空基地の利用も行われる[4]。海上への降下訓練は、鋸南町沖合の海域などが使われる[5]。
帝国陸軍挺進団(挺進部隊)からの伝統
編集第1空挺団の事実上の前身は、太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦(蘭印作戦)のパレンバン空挺作戦などで活躍し、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進部隊(第1挺進団・第2挺進団・滑空歩兵連隊・挺進飛行団等:第1挺進集団)である[6]。
第1空挺団は、初代空挺教育隊長および第1空挺団初代団長を務める衣笠駿雄元陸軍少佐(のち第8代陸上幕僚長・第6代統合幕僚会議議長。最終階級は統幕議長たる陸将)[7]に率いられ、帝国陸軍挺進部隊の元隊員らから構成される第1次研究員20名によって創設された。また創成期に空挺教育隊研究科長を務めていた田中賢一元陸軍少佐(のち空挺普通科群長、第1空挺団副団長。最終階級は陸将補)[8]。は、戦時中は一貫して帝国陸軍挺進部隊に属する挺進兵であり、旧挺の伝統継承に尽力し空挺団の土台を構築した。
隊歌は「空の神兵」がそのまま継承されており、「降下訓練始め」では歌唱付きで場内放送される。また、習志野駐屯地の空挺館(旧陸軍施設)では帝国陸軍挺進部隊の顕彰展示がされているほか、OB会である全日本空挺同志会により「空の神兵之像」が同駐屯地内に建立されている。
沿革
編集草創期
編集- 1952年(昭和27年)
- 月不明:戦後日本において、保安隊から陸上自衛隊への改編に際し、陸上自衛隊の目標、基盤となる最精鋭部隊の創設が検討される。当時は米軍供与のC-46輸送機も不足しており、空挺部隊として国防作戦での具体的な運用案はなかった。また、米国陸軍の軍事顧問団長であったジェラルドJ.ヒギンズ少将の勧告も受け、精鋭部隊という位置付けで空挺部隊創設が選択された。
- 6月:衣笠駿雄元陸軍少佐、第一幕僚監部にて、米軍と自衛隊の機甲戦力差、普通科部隊の特科火力による支援を前提にした運用を新設空挺部隊にも適用することに疑問を呈する。各人の戦闘能力を重要視した「特殊作戦」を行う部隊としての地位を具申。
- 1954年(昭和29年)
臨時空挺練習隊
編集空挺教育隊
編集空挺教育隊・第101空挺大隊
編集第1空挺団
編集- 1958年(昭和33年)6月25日:第1空挺団が編成完結。初代団長は衣笠駿雄(陸士48期)。
- 1958年創設当時の編成
- 団本部(団本部中隊)、普通科群、特科大隊、施設隊、無反動砲隊、管理中隊、衛生隊、空挺教育隊
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 4月:60式主傘(分離式)使用開始。
- 9月:田中賢一空挺教育隊研究科長、「空挺作戦の運用および空挺部隊の編制等に関する中間報告」を陸幕へ報告。第二次大戦時、イギリス空挺コマンド「ウィンゲート旅団」が行った作戦を参考に、「地域阻止作戦(空挺堡の占領確保による任務達成ではなく、広域で敵の行動を阻止するゲリラコマンド作戦)」を提案する。
- 11月:自由降下の研究開始。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:情報小隊特車班が空挺普通科群本部中隊空挺戦車小隊に改称[10]。
- 4月:第1期レンジャー課程教育が開始。
- 1968年(昭和43年)8月1日:無反動砲隊を対戦車隊(64式対戦車誘導弾を装備)に改編。
- 1969年(昭和44年)4月:第1期自由降下課程訓練を開始。
- 1972年(昭和47年)6月:航空自衛隊のC-1輸送機で試験降下開始。
- 1973年(昭和48年)3月8日:空挺戦車小隊が60式装甲車5両からなる空挺普通科群本部直轄空挺装甲輸送隊に改編[10]。
- 1984年(昭和59年)6月:航空自衛隊のC-130Hでの試験降下開始。
- 1987年(昭和62年)3月26日:空挺普通科群に第4普通科中隊が新編。
- 1994年(平成 6年)7月:50万回無事故降下達成。
- 1995年(平成 7年)
- 1999年(平成11年)11月7日:横須賀周辺および相模湾において海上自衛隊艦艇5隻とともに在外邦人等輸送訓練を行う。
- 2000年(平成12年)7月:12傘(空挺傘M696M1。フランス製(藤倉航装でライセンス生産))
- 2002年(平成14年)3月27日:管理中隊及び落下傘整備中隊を統合し、後方支援隊を新編。
- 2002年頃の主要編成
- 団本部(団本部中隊)、普通科群、特科大隊、施設隊、対戦車隊、後方支援隊、空挺教育隊
2003年度部隊改編
編集- 2004年(平成16年)3月29日:部隊改編。
- 2004年頃の主要編成
- 団本部(団本部中隊)、第1・第2・第3普通科大隊、特科大隊、通信中隊、施設中隊、後方支援隊、空挺教育隊
- 2006年(平成18年)4月:第10次イラク復興支援群に警備部隊として派遣される。同年2月にはイラク派遣を逃れるために二等陸曹がホームセンターで万引きをして逮捕されている[13]。
- 2007年(平成19年)3月28日:中央即応集団発足により、東部方面隊隷下から中央即応集団隷下に編成替え。
- 2011年、3月、東北地方で発生した東日本大震災において、福島第一原発における原子炉の冷却作戦や周辺地域での行方不明者捜索や復興支援活動に部隊を派遣。
- 2012年(平成24年)5月:オーストラリアで開催された、米英仏加および東南アジア各国が参加する豪陸軍主催射撃競技会(AASAM: Australian Army Skill at Arms Meeting)に陸上自衛隊として初めて参加。結果は15ヶ国中14位。1位とは2倍近いスコアの差をつけられたが、空挺団が持参していたのは狙撃銃ではなく89式小銃であった。ホストのオーストラリア軍も「各国は500メートル以上用の狙撃銃を使用したが日本チームは300メートル用の銃で、照星のみで照準器は無かった」とコメントしている。そのため150人程度が参加する「個人の部」では、殆どが80位以下で、中には最下位に近い者もいた[14]。
- 2013年(平成25年)
- 2015年(平成27年)3月26日:空挺特科大隊第3射撃中隊を習志野駐屯地に新編。
- 2016年(平成28年)南スーダン平和維持活動へ部隊を派遣
- 2017年(平成29年)1月8日:毎年恒例の降下訓練始めに米陸軍特殊部隊・グリーンベレーが初めて参加[16]。
- 2018年(平成30年)3月27日:中央即応集団の廃止および陸上総隊発足により、陸上総隊隷下に編入[3]。
- 2019年(令和元年)
- 2020年(令和 2年)3月4日:第319期基本降下課程において、女性の3曹が養成課程を修了し、16日付で第1空挺団に配属され、初の女性団員が誕生した[20][21][22]。
編成
編集- 2008年(平成20年)4月現在の空挺団の編成は団本部および団本部中隊(自由降下課程を修了した隊員を中心とする降下誘導小隊、偵察小隊で編成され、先遣降下を任務とする)を中心とし、3個普通科大隊、特科大隊、通信中隊、施設中隊、後方支援隊(隊本部、整備隊、輸送小隊、衛生小隊、落下傘整備中隊)となっている。定員は1,900人。
- 1999年(平成11年)、海外における邦人保護を目的とした50人規模の「誘導隊」が第1空挺団内にローテーション編成された。ほかに空挺教育隊があり、空挺隊員の育成はそこで行っている。
- 1958年(昭和33年)6月、発足当時の編成は団本部および本部中隊、普通科群(3個中隊)、特科大隊(2個迫撃砲中隊)、無反動砲隊、施設隊、落下傘整備中隊、衛生隊、管理中隊から成り人員は約1,350人であった[23]。
部隊編成
編集- 第1空挺団本部
- 第1空挺団本部中隊「空挺団-本」
- 中隊本部
- 偵察小隊
- 降下誘導小隊
- 第1普通科大隊
- 第2普通科大隊
- 第3普通科大隊
- 特科大隊(本部中隊及び3個射撃中隊から成る)120mm迫撃砲 RT装備
- 後方支援隊(整備中隊、落下傘整備中隊及び衛生小隊、補給小隊)
- 通信中隊「空挺団-通」
- 施設中隊「空挺団-施」
- 空挺教育隊
編成表
編集HQ 団本部 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
団本部中隊 | 第1普通科大隊 | 第1中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第2中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2普通科大隊 | 第4中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第5中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第6中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3普通科大隊 | 第7中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第8中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第9中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
特科大隊 | 第1中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第2中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
通信中隊 | 施設中隊 | 後方支援隊 | 陸上自衛隊空挺教育隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
主要幹部
編集官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第1空挺団長 兼 習志野駐屯地司令 |
陸将補 | 若松純也 | 2022年 | 3月30日第8師団副師団長 兼 北熊本駐屯地司令 |
副団長 | 1等陸佐 | 髙倉敬 | 2024年 | 3月18日陸上自衛隊九州補給処総務部長 |
高級幕僚 | 2等陸佐 | 久我健児 | 2024年 | 8月 2日空挺教育隊長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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1 | 衣笠駿雄 (1等陸佐) |
1958年 | 6月25日 - 1958年 7月31日陸士48期・ 陸大55期 |
空挺教育隊長 | 陸上幕僚監部第3部研究班長 |
2 | 渡邊利亥 | 1958年 ※1961年 1月 1日 陸将補昇任 |
8月 1日 - 1963年 3月15日陸士45期・ 陸大53期 |
陸上幕僚監部第3部業務計画班長 (1等陸佐) |
東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 |
3 | 片木良平 | 1963年 ※1964年 7月 6日 陸将補昇任 |
3月16日 - 1966年 3月15日陸士46期 | 陸上自衛隊富士学校普通科教育部長 (1等陸佐) |
第1教育団長 兼 武山駐とん地司令 |
4 | 花見侃 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸士47期・ 陸大57期 |
第3師団副師団長 兼 千僧駐とん地司令 |
陸上幕僚監部付 →1968年10月31日 退職(陸将昇任) |
5 | 倉重翼 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 6月30日陸士52期 | 陸上幕僚監部第1部副部長 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐とん地司令 |
6 | 越智誠一 | 1970年 | 7月 1日 - 1971年 8月19日陸士54期 | 第1空挺団副団長 | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 |
7 | 八木正忠 | 1971年 ※1972年 7月 1日 陸将補昇任 |
8月20日 - 1973年 3月15日陸士54期 | 富士教導団副団長 (1等陸佐) |
自衛隊体育学校長 |
8 | 那須明 | 1973年 ※1975年 7月 1日 陸将昇任 |
3月16日 - 1976年 7月 1日陸士54期 | 陸上幕僚監部監察官 | 退職 |
9 | 小林正信 | 1976年 ※1979年 7月10日 陸将昇任 |
7月 1日 - 1980年 3月16日陸士59期・ 関西大学 昭和24年卒 |
第1空挺団副団長 | 第1師団長 |
10 | 若月勲 | 1980年 ※1980年 7月 1日 陸将補昇任 |
3月17日 - 1982年 6月30日名幼47期・ 中央大学 昭和28年卒 |
第10師団司令部幕僚長 (1等陸佐) |
北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
11 | 水野智之 | 1982年 | 7月 1日 - 1984年 6月30日防大1期 | 第5師団司令部幕僚長 | 自衛隊富士学校普通科部長 |
12 | 小林英雄 | 1984年 ※1985年 3月16日 陸将補昇任 |
7月 1日 - 1986年 7月31日防大1期 | 中部方面総監部人事部長 (1等陸佐) |
第10師団副師団長 兼 守山駐屯地司令 |
13 | 楠元惇之 | 1986年 | 8月 1日 - 1989年 3月16日防大1期 | 自衛隊愛知地方連絡部長 | 退職 |
14 | 木家勝 | 1989年 | 3月16日 - 1991年 3月15日防大6期 | 北部方面総監部防衛部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
15 | 土井義彦 | 1991年 | 3月16日 - 1993年 6月30日防大7期 | 第9師団副師団長 兼 青森駐屯地司令 |
陸上自衛隊東北地区補給処長 |
16 | 山本勝 | 1993年 | 7月 1日 - 1996年 3月24日防大9期 | 自衛隊沖縄地方連絡部長 | 陸上自衛隊富士学校副校長 |
17 | 高橋佳嗣 | 1996年 | 3月25日 - 1998年 6月30日防大11期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 | 自衛隊体育学校長 |
18 | 衣笠陽雄 | 1998年 | 7月 1日 - 2001年 1月10日防大13期 | 第6師団司令部幕僚長 | 陸上自衛隊関西補給処長 兼 宇治駐屯地司令 |
19 | 直海康寛 | 2001年 | 1月11日 - 2002年 3月21日防大16期 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
20 | 火箱芳文 | 2002年 | 3月22日 - 2003年 3月26日防大18期 | 中部方面総監部幕僚副長 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
21 | 寺崎芳治 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 1月11日防大20期 | 陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長 | 東北方面総監部幕僚副長 |
22 | 木野村謙一 | 2005年 | 1月12日 - 2006年 8月 3日防大23期 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課長 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部長 |
23 | 岡部俊哉 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 7月31日防大25期 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長 |
西部方面総監部幕僚副長 |
24 | 永井昌弘 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年 7月25日防大25期 | 東北方面総監部幕僚副長 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 |
25 | 山之上哲郎 | 2010年 | 7月26日 - 2012年 7月25日防大27期 | 第3師団副師団長 兼 千僧駐屯地司令 |
陸上幕僚監部教育訓練部長 |
26 | 前田忠男 | 2012年 | 7月26日 - 2013年12月17日防大31期 | 陸上幕僚監部装備部装備計画課長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
27 | 岩村公史 | 2013年12月18日 - 2015年 | 8月 3日防大29期 | 中央即応集団副司令官 | 陸上自衛隊富士学校副校長 |
28 | 兒玉恭幸 | 2015年 | 8月 4日 - 2018年 3月26日防大33期 | 陸上幕僚監部人事部募集・援護課長 | 陸上幕僚監部監察官 |
29 | 戒田重雄 | 2018年 | 3月27日 - 2020年 8月24日防大35期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 陸上幕僚監部運用支援・訓練部長 |
30 | 堺一夫 | 2020年 | 8月25日 - 2022年 3月29日防大36期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 東部方面総監部幕僚長 兼 朝霞駐屯地司令 |
31 | 若松純也 | 2022年 | 3月30日 -防大36期 | 第8師団副師団長 兼 北熊本駐屯地司令 |
空挺訓練生
編集スポーツ
編集ラグビー部は関東社会人リーグ1部に所属している。
様々な大会に出場し、嘗ては上位入賞の好成績を挙げていた。 実際に、富士山で行われる富士登山駅伝では、滝ヶ原自衛隊(富士教導団普通科教導連隊など)と毎年優勝争いをしていた。また自衛隊内での交流試合や大会などにおいても常に優勝していた。
近年では衰退が著しく、銃剣道は初戦敗退している。背景として、志願者母数の減少と、景気回復による民間企業チームの力量向上があげられている。
モットー
編集所在地
編集駐屯地の住所は千葉県船橋市薬円台であり、船橋市習志野台は習志野市ではなく、駐屯地名とその住所は一致しない。駐屯地の名は、かつて付近一帯が習志野と呼ばれていたことに由来する(明治天皇が1873年(明治6年)4月の陸軍演習行幸後、指揮官の篠原國幹陸軍少将を皇居に呼び、演習した土地を「習志野原」(「篠原に習え」の意味。正しくは「倣え」)と命名した。
駐屯地は国道296号(成田街道)沿いの船橋市と習志野市に隣接する住宅地の真ん中にあり、演習場の半分以上は八千代市高津となっている。また演習場の南側一部の境界はそのまま習志野市と八千代市との境界になっている。最寄駅は新京成線習志野駅、または東葉高速線八千代緑が丘駅。
警備隊区
編集登場作品
編集映画
編集- 『宣戦布告』
- 『第八空挺部隊 壮烈鬼隊長』
- 『右向け左!自衛隊へ行こう』
- 『ミッドナイト・イーグル』
- 『風が通り抜ける道』沖縄県後援、カンヌ国際映画祭2023年 披露上映作品、沖縄国際映画祭2023年 正式出品作品、一般劇場公開2024年(イオンエンターテイメント)
ドラマ
編集- 『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』
- 公安機動捜査隊の稲見朗が第1空挺団出身の元自衛官。
小説
編集- 『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』
- 大規模な空挺降下作戦を実行し、帝国に奇襲をかける。
- 『ゼロの迎撃』
- 既に壊滅した特殊作戦群の替わりとして北朝鮮特殊部隊の拠点と思われたビルに1個分隊が突入するが、罠にはまり爆発に飲み込まれてしまう。また、錦糸町に立てこもる北朝鮮特殊部隊の別働隊を掃討。警察力では太刀打ちできなかった別働隊を制圧した。
- 『黙示の島』
- 登場人物の一人が第1空挺団(および冬季戦技教育隊)出身の元自衛官。作品の舞台となる太平洋上の小島にてひっそりと生活していたが、これは自衛隊が来るソ連侵攻に備え、特殊訓練経験者を全国の小島に離島残置工作員として配置したため。
- 『土漠の花』
- ソマリアの国境付近で墜落したヘリコプターの捜索救助を行っていた、陸上自衛隊の空挺団の精鋭12人が民族紛争に巻き込まれてしまう。
- 『東京×異世界戦争 自衛隊、異界生物を迎撃せよ』
- 異界生物に襲撃されていた東京消防庁の特殊救急車を救助し、聖バジル国際病院の警護を担当する。
- 『特殊作戦群追跡す!』
- 佐渡島等のレーダーサイトの臨時警備についていた。また、佐渡島の部隊は不明勢力と交戦し一方的な被害を出した後、島内の警戒に当たった。
- 『日本国召喚』
- 第1巻で警視庁SATとともにロウリア王城内へとヘリボーンで突入し、王であるハーク・ロウリア34世をSATに逮捕させる。また第6巻では、ムー国の特殊部隊に教育を行っている事が語られている。
- 『ブラッドバス』
- 深見真の小説。主人公の一人、入江公威が第1空挺団の隊員。また冒頭にて、第1空挺団が特殊作戦群や西部方面普通科連隊とともに自衛官を極秘に海外へ派遣して実戦経験を積ませる様子が描かれる。
- 『ラブコメ今昔』
- 有川浩の短編小説集。表題作「ラブコメ今昔」の主人公である今村和久二等陸佐が第1空挺団所属の大隊長。
- 『エアボーンウイッチ~異世界帰りの魔導師は、第1空挺団に所属しました~』
- 呑兵衛和尚の小説。主人公の如月弥生が、異世界から帰還した際に第1空挺団に所属。日本初の魔導師として自衛隊活動に参加している。
アニメ・漫画
編集- 『RAID ON TOKYO』
- 小林源文の漫画。日本の新政府の要請で東京占領を行おうとするソ連軍に対し、超法規的に出動。国会議事堂にUH-1Hでヘリボーンを行う。しかし先に展開していたソ連軍と戦闘状態に陥り皇居へと撤退。以後は第1戦車大隊や東京湾内に展開した海上自衛隊護衛艦隊から支援を受けつつ、占領された国会議事堂や各省庁の奪取を目指して動く。
- 『暗殺教室』
- 防衛省の烏間 惟臣が第一空挺団の出身者。
- 『空母いぶき』
- 中国軍に占領された与那国島を奪還するため、特殊作戦群と共にC-2から空挺降下作戦を行う。
- 『習志野第一空挺団』
- 『バトルオーバー北海道』
- 小林源文の漫画。ソ連軍に占領された蘭留山に多数のUH-1Hを用いてヘリボーンし、これを占領する。
- 『魔法少女特殊戦あすか』
- 特殊作戦群本部の魔法少女特殊戦開発部隊「M班」の隊員として第1空挺団出身者が登場。
- 『やわらか戦車』
- 『レッドマン・プリンセス -悪霊皇女-』
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 陸上自衛隊パーフェクトガイド (2003-2004),P64,学習研究社,ISBN 4056032033
- ^ 2007年防衛白書
- ^ a b 平成30年2月9日 政令第33号 自衛隊法施行令等の一部を改正する政令
- ^ “【陸上自衛隊】第1空挺団の降下訓練に密着”. アームズマガジン (2022年9月17日). 2023年8月29日閲覧。
- ^ “海上に花開く落下傘 陸自第1空挺団が降下訓練 鋸南・保田沖”. 千葉日報 (2013年8月30日). 2023年8月29日閲覧。
- ^ “精鋭無比 第1空挺団:1st Airborne Brigade. JGSDF” (PDF). 陸上自衛隊 習志野駐屯地. 2015年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月15日閲覧。
- ^ 陸士48期・陸大55期恩賜組。
- ^ 陸士52期。
- ^ 陸上自衛隊20年年表,P92,朝雲新聞社,1971年
- ^ a b c 「日本の機甲100年」(防衛ホーム新聞社)
- ^ 麻生幾『極秘捜査―警察・自衛隊の「対オウム事件ファイル」』〈文春文庫〉2000年8月4日(原著1997年1月)。ISBN 9784167644017。(原著 ISBN 9784163525402)
- ^ 従来の1個普通科群4個中隊を分割再編し3個普通科大隊編成に改編。群本部をそれぞれ3個大隊本部へ分割再編、第1から第3中隊を基幹として4中隊所属人員と装備を分割併合、新たに迫撃砲中隊をそれぞれ大隊隷下に編成。対戦車隊は2個対戦車小隊を3個の小隊に再編成しそれぞれ普通科大隊本部中隊隷下へ編成
- ^ 『東京新聞』2006年2月23日朝刊
- ^ 毎日.jp 各国対抗射撃大会:雪辱期す陸自 昨年15カ国中14位 2013年04月30日
- ^ 防衛ホーム <水上降下訓練を実施> 2月14日
- ^ “【陸自第1空挺団】降下訓練始めを公開 CH47から「精鋭無比」が続々と…米陸軍グリーンベレーも”. 産経新聞. (2017年1月8日)
- ^ “令和元年台風15号に伴う千葉県及び神奈川県の停電に係る災害派遣(13時00分現在)” (PDF). 防衛省・自衛隊. 2019年9月14日閲覧。
- ^ “令和元年台風第19号等に係る被害状況等について(令和元年11月8日7:00現在)”. 内閣府 非常災害対策本部. 2019年11月8日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊 第1空挺団 [@jgsdf_1stAbnB] (2019年11月5日). "本日15時10分に千葉県知事から自衛隊に対する撤収要請を受け、災害派遣活動を終了しました。約2ケ月にわたり、被災された方々の一刻も早い生活再建の一助となるべく活動して参りました。第1空挺団は、引き続き我が国の平和のため、皆様に寄り添いつつ、任務を必遂して参ります。#精鋭無比 #空挺団". X(旧Twitter)より2019年11月8日閲覧。 。
- ^ 陸上自衛隊第1空挺団 [@jgsdf_1stAbnB] (2020年3月4日). "初の女性空挺団員が誕生". X(旧Twitter)より2020年3月4日閲覧。
- ^ 陸上自衛隊 第1空挺団 [@jgsdf_1stAbnB] (2020年3月4日). "女性空挺団員の訓練状況". X(旧Twitter)より2020年3月4日閲覧。
- ^ “女性初の「陸自空挺団員」が誕生!”. zakzak(夕刊フジ) (2020年3月6日). 2020年7月13日閲覧。
- ^ 新旧空挺部隊概史(全日本空挺同志会編 S58.12)