福間就政
福間 就政(ふくま なりまさ)は、江戸時代の武士。毛利氏家臣で長州藩士。児玉景唯の次男で、福間元之の婿養子となる。知行は200石。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 万治2年11月2日(1659年12月15日) |
改名 | 児玉金次郎→福間就政 |
別名 | 通称:金次郎(かなじろう)→藤左衛門 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 児玉氏→清和源氏山名氏庶流福間氏 |
父母 |
父:児玉景唯 養父:福間元之 |
妻 | 正室:つち(桑原就秋の娘、福間元之の養女) |
子 | 種之、桑原貞正、青山晴安、女(小林平八室)、女(称讃寺是空室) |
生涯
編集寛永16年(1639年)2月23日、男子のいなかった福間元之の養女・つちと婚姻して元之の婿養子となった。なお、婚姻に際して毛利秀就は就政とつちのそれぞれに書状を出し、もし就政とつちが離縁することがあった場合は非の無かった方に元之の旧知行200石を与えると言い含めている。