福地勝衛門
福地 勝衛門(ふくち かつえもん、天保元年(1830年) - 元治2年4月5日(1865年4月29日))は、江戸時代後期の水戸藩士、幕末の尊皇志士。靖国神社の祭神。仮名は勝衛門。諱は道遠。位階は贈正五位。
生涯
編集福地政次郎の長男として生まれる[1]。家禄は250石。床机廻、馬廻を経て父と同じ軍用掛となる。元治元年(1864年)、父ともども宍戸藩主・松平頼徳を迎えて水戸天狗党として転戦し、10月、自首する。元治2年(1865年)4月5日、下総国古河藩で斬首となる。維新後、大正4年(1915年)に正五位を贈位され[2]、靖国神社に祀られる[3]。
脚注
編集参照文献
編集- 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)
- 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)