太田 亮(おおた あきら、1884年7月1日[1] - 1956年5月27日[2])は、日本歴史学者氏族制度の研究で知られる。

太田 亮
人物情報
生誕 (1884-07-01) 1884年7月1日
日本の旗 日本 大阪府吉野郡下市村(現・奈良県吉野郡下市町
死没 (1956-05-07) 1956年5月7日(71歳没)
日本の旗 日本 東京都
心臓動脈硬化症
国籍 日本の旗 日本
出身校 神宮皇學館(現・皇學館大学
学問
研究分野 歴史学(日本古代史)
学位 法学博士
主な業績 氏族制度の研究
主要な作品 『姓氏家系大辞典』
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略歴

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大阪府吉野郡下市村(現・奈良県吉野郡下市町)に生まれる[1]。京都法政大学予科(現・立命館大学)を経て[1]1910年に神宮皇學館(現・皇學館大学)を卒業[3]。山梨県立高等女学校教諭、内務省考証官補、同嘱託などを経て、1934年から西園寺家の「管見記」の編纂にたずさわる[4]。同年、立命館大学法経学部講師[1]1937年に同専門部文学科教授。1941年に同法文学部教授となる。1943年同文学部長を兼ねた[5]1945年11月7日、「日本上代ニ於ケル社会組織ノ研究」で法学博士号取得。1949年、近畿大学商経学部教授[5]。1955年、専修大学大学院法学研究科教授[5]。講義の帰途に突然路傍で倒れ[6]、午前4時30分、心臓動脈硬化症のため死去[5][7]

主著に『姓氏家系大辞典』。また『摂津』、『家系系図の合理的研究法』など多数の著書がある。

著書

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共著
  • 『綜合国史概説』阿部真琴共著 立命館出版部 1937

脚注

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  1. ^ a b c d 日本歴史学会 1999
  2. ^ 「太田亮氏の逝去(学界動向)」『日本歴史』第97号、吉川弘文館、1956年、p.56
  3. ^ 神宮皇學館一覧 従大正5年4月至大正6年3月』神宮皇學館、1917年3月、147頁。 
  4. ^ 上田正昭編『コンサイス人名事典: 日本編』(三省堂、1976年)208ページ
  5. ^ a b c d 『出版年鑑』(出版ニュース社、1957年)86ページ
  6. ^ 丹羽基二『日本人の苗字―30万姓の調査から見えたこと』(光文社新書、2002年)所収「太田亮の奇妙な生涯」
  7. ^ 以上につき「太田亮博士の訃」立命館大学人文学会 編『立命館文學 (133)』1956 p80以下

参考文献

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  • 『日本史人物辞典』日本史広辞典編集委員会編、山川出版社
  • 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、66-67頁。 
  • 上田正昭編『コンサイス人名事典: 日本編』(三省堂、1976年)、p. 208.
  • 「太田亮氏の逝去(学界動向)」『日本歴史』第97号、吉川弘文館、1956年、p.56.
  • 長谷川澄夫「中川小十郎の先考顕彰と太田亮」『立命館 史資料センター紀要』第2号、学校法人立命館 史資料センター、2019年3月、107-137頁、NAID 120006594241