神矢粛一
神矢 粛一(かみや しゅくいち、嘉永2年(1849年) - 大正8年(1919年)1月5日)は、今の兵庫県出身の教育者。
人物
編集- 但馬(兵庫県)城崎郡大磯村出身。東京師範学校を卒業した後、兵庫師範学校(神戸師範学校)の校長心得(1878年6月-1878年11月)となる。その後、豊岡小学校(豊岡市立豊岡小学校)の初代校長などを経て、明治24年には兵庫小学校の校長となる。
- 小学校の増設を訴え、兵庫教育協会、神戸教育会の創立にも加わった。また、水泳教育の充実をはかり、付属水泳場をもうけた。
親族
編集- 出典は人事興信録の4巻と、8巻より。
- 弟:沖野忠雄(豊岡藩士沖野春水の次男)
- 妻・ふて(ふで。猪子清の長女で、沖野の妻)
- 娘:神矢ふみ(神矢粛一の2女)
- 森垣亀一郎(ふみの夫)
- 娘:神矢ふく(神矢粛一の3女)
- 藤井正太郎(福子の夫。藤井得三郎の息子)
縁者
編集脚注
編集参考文献
編集- 兵庫県教育委員会、『郷土百人の先覚者』(兵庫県政百年記念)、昭和42年
- 日本人名大辞典『神矢粛一』 - コトバンク
- "月刊神戸っ子「連載 神戸秘話」"