猪子吉人
猪子 吉人(いのこ きちんど、1866年3月28日(慶応2年2月12日) - 1893年(明治26年)9月20日)は明治時代の薬理学者。医学博士。但馬豊岡藩(兵庫県)家老猪子清の次男。兄は京都帝国大学医科大学名誉教授の猪子止戈之助。
猪子吉人 | |
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帝国大学代薬物学助教授 猪子吉人 | |
生誕 |
慶応2年2月12日(1866年3月28日) 日本但馬豊岡 |
死没 |
1893年9月20日(27歳没) ドイツ帝国ベルリン |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 薬理学 |
研究機関 |
帝国大学医科大学 ベルリン大学 |
出身校 | 東京医学校 |
プロジェクト:人物伝 |
人物
編集家族
編集長兄の止戈之助は外科学者として京都府立医学校長、京都帝大医科大学教授を歴任した。姉のふて(ふで)は沖野忠雄の妻となる。
栄典
編集脚注
編集- ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』406頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月11日閲覧。
- ^ 『官報』第2545号、「叙任及辞令」1891年12月22日。