石造殿
石造殿(朝鮮語: 석조전 Seogjojeon)とは、李王朝の宮殿であった徳寿宮に備わる西洋建築の棟を指す[9][10][11]。大韓帝国期に石材で建てられた、韓国最古の新古典主義建築である。竣工は1909年[12]。
![]() 석조전 | |
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![]() 石造殿と洋風庭園 | |
情報 | |
用途 |
国立古宮博物館(2014年10月13日時点[1]
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旧用途 | 王宮、宮中遺物展示館、国立現代美術館(1973年-1986年[4] |
設計者 | J・R・ハーディング(イギリス[5]) |
構造設計者 | J・R・ハーディング(西洋庭園と噴水[5]) |
設備設計者 |
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施工 | |
建築主 | 李王朝 |
構造形式 |
コロニアル様式(ギリシャ建築(祖型)にルネサンス様式を加味) 正面間口54 m、幅31 m |
階数 | 3 |
竣工 |
1909年(隆熙3年) 王室への引き渡し1910年(隆熙4年)8月[6] |
改築 | 2014年10月13日時点完了 |
座標 |
北緯37度33分58.79秒 東経126度58分27.41秒 / 北緯37.5663306度 東経126.9742806度![]() 석조전)座標: 北緯37度33分58.79秒 東経126度58分27.41秒 / 北緯37.5663306度 東経126.9742806度 ![]() 석조전) |
文化財 | 登録文化財第80号[注釈 1] |
指定・登録等日 |
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備考 | 韓国文化財庁登録番号(79,00800000,11) |
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ジョン・マクレヴィ・ブラウンが在職中に勧奨したイギリス人技師ハーディング(英語: J. R. Harding)が設計を担当し[5]、施工監督は審議長(韓国人)と審議員(ロシア人)が選んで小川省吾(日本)[13]とデイビッドソン(イギリス)を任命した。
石造りの3階建ては正面間口54 m、幅31 mである。いわゆるコロニアル様式を採用しており、ギリシャ建築(祖型)にルネサンス様式を加味した建築は、18世紀以降、英国植民地の各地に見られた。
石造殿は高宗が執務と外国使節の謁見に使用し、1階[注釈 3]は控えの間、2階に皇帝の謁見の間、その上階に皇帝と皇后の寝室と応接間を配した。ハーディングは建物に面した庭園も設計し、西洋庭園と#噴水[注釈 4]は建物の竣工(1909年)と同時期に完成した。
ここに収蔵されてきた宮中遺物展示館は韓国解放後に景福宮[15]に移管し、この石造殿は国立博物館として機能した。復元工事が終わった2014年10月13日付で、国立古宮博物館と改称して幕を開けた[2]。
歴史
編集石造殿の建設に関して、小田省吾は建築監督デイビッドソンの証言を記録している[6]。
この建築事業は当初、予定地を慶熙宮としていたが、大韓帝国総税務士(当時)ジョン・マクレヴィ・ブラウン(英: John McLeavy Brown、繁体字中国語: 栢卓安)の建議で徳寿宮に変更すると、事前調査は1897年3月に実施された[16]。
設計はイギリス人建築家ハーディング(G.R. Harding)が引き受け、内装担当はロブ・ラヴェル(英: Rob Lovell)というイギリス人に決まった。工事に先立ち、まず採石場で花崗岩を切り出して東大門の外の建材置き場に運ぶと、基礎工事は韓国人建築家 沈宜錫が監督した。続いて大倉組土木が建築作業を請け負い、監督と補佐の技師2名のもとで工事を進行した。1905年からデイヴィッドソン総監督が責任を負った時点で、すでに2階までほぼ完成していた[6]。
前出のR・ラヴェル技師は1907年から内装工事に取り掛かり、暖房施設を含む配管や照明器具はイギリスのクリタル社(Crittall & Co.、ロンドン)が納入し、装飾は家具を含めてやはり同地のメープル社(Messrs Maple&Co.)が引き受けた。建物の竣工は1909年(隆熙3年)に迎え、王室への引き渡しは翌1910年(同4年)8月に執り行われた[6][17][18][19][20]。
同じく1910年完成の庭園には、海外からシナブナ、トチノキ、ソメイヨシノ、ゲッケイジュ、クロフネツヅジを取り寄せて植え付け、ゲッケイジュとツツジのみ根付いた。本殿の建築経費は当初の総務士(總務司)による見積もりで94万ウォン、不足分としてメガダ(目賀田)[誰?]が35万ウォンの補填予算を計上し、戦後に合計概算129万ウォンほどを支出した[6]。
小田は本籍の京城帝国大学予科の教授職に戻り、やがて朝鮮総督府事務官を兼ねる(1924年)[21]。
旧李王が海外の賓客と接見した当館では、1930年代から李王家の集めたコレクション198点を納めて美術館(李王家美術館)として機能し、これらの作品は1943年まで当館に収蔵した[3][注釈 5]。当館は1973年-1986年の期間、国立現代美術館を収容した[3]。
特徴
編集当時、慶熙宮内にはすでに西洋式建築物があり、静観軒(정관헌)、重明殿(중명전)に加えて惇徳殿(돈덕전)と九成軒(구성헌)も中国製レンガ造りであった。石造殿のみ花崗岩で建てられ、また、そのルネッサンス様式も前例とは一線を画した。
ギャラリー
編集参考文献
編集主な執筆者、編者の順。
- 伊澤朋美(著)、新潟県立近代美術館(編)「熊岡美彦作〈半裸像〉〈ホーレダム下絵(二)〉について」『新潟県立近代美術館研究紀要』第19号、新潟県、2021年、NDLJP:13579988/1/1、2025年2月5日閲覧。「キャンバスの木枠裏には李王家徳寿宮陳列日本美術品展示の出品票が付されている[図5](中略)石造殿における日本内地の作家作品」
- 小田省吾、瀬野 馬熊、杉本 正介、大原 利武 著、朝鮮史学会 編朝鮮史学会、京城〈朝鮮史大系〉、昭和2年。 NCID BN06335197。国立国会図書館書誌ID:000000763799。「全5巻、上世史・近世史・中世史・近世史・最近世史[25]」
- 小田 省吾、瀬野 馬熊、杉本 正介、大原 利武原書房〈ユーラシア叢書 9-13〉、1975年。 NCID BN02339367。改版改題
- 小田省吾「德壽宮略史§第8項」『朝鮮』第234号、朝鮮総督府、1934年11月、39-103頁、国立国会図書館書誌ID:000000015210-d3557629/1/27、NDLJP:3557629、2025年2月4日閲覧。口絵:徳壽宮石造殿あり。
- 『徳寿宮史』。国立国会図書館書誌ID:000001394931。
- 小田 省吾、成田 忠良 著、朝鮮教育會 編『朝鮮史要略』朝鮮教育會、1915年。 NCID BB0382408X。
- 小田 省吾『朝鮮小史』藤田亮策、中村榮孝(写真、挿し絵)、魯庵記念財団、1931年。 NCID BA30234999。図版26点、付録35頁[26]。
- 小田 省吾『朝鮮小史』(増訂)大阪屋號書店、京城、1937年。 NCID BA36174062。
- 小田 省吾『朝鮮陶磁史文献考』學藝書院、1936年。 NCID BA39636313。
- 『徳壽宮史』小田 省吾 述、李王職、1938年。doi:10.11501/1905839。 NCID BN08595246。NDLJP:1905839。
- 小田 省吾 著、李王職 編『徳壽宮李太王實記』李王職、近澤印刷所(印刷)、1943年。 NCID BA53720271。[27]
- 小田 省吾 著、李王職 編『昌徳宮李王實記』李王職、近澤印刷所(印刷)、1943年。 NCID BA53722029。[28]
- 国立国会図書館関西館アジア情報課(編)「2.4.2.4.国立現代美術館」『アジア情報室通報』第19巻第3号、国立国会図書館、2021年9月、NDLJP:11778019、2025年2月5日閲覧。
- 大正写真工芸所「(京城)徳寿宮、石造殿の景観」、[レコードID:RB00030113 - 登録番号:200022895548 - リストNO:KY-PL065]、2025年2月5日閲覧。別タイトル「"Stone Palace" Tokuju Palace, Keijo」場所: 京城、区分: 宮殿、画像二次利用自由(所蔵表示[30])、京都大学附属図書館所蔵 Collected by the Main Library, Kyoto University.
- 「京城德壽宮石造殿の壯麗」『朝鮮地方行政』第15巻9(通号57)別冊附録、朝鮮地方行政学会、京城、1926年9月、6頁、国立国会図書館書誌ID:000000015242、2025年2月4日閲覧。
- 金承煕「▽韓国国立中央博物館所蔵日本近代美術展「韓国国立中央博物館の日本近代美術品コレクション」」『財団法人日韓文化交流基金news』第26号、日韓文化交流基金、2003年6月30日、8-9頁、NDLJP:11708733/1/1、2025年2月5日閲覧。「当館所蔵日本近代美術品の特別展示が始まった。これらの美術品は、1943年3月まで韓国の徳寿宮石造殿で陳列され(中略)日本の敗戦以後一度も公開されたことがなかった(攻略)」筆者は韓国国立中央博物館の学芸研究官。
- 萩森茂 編(再版)大陸情報社、京城、昭和6年。
- 「8 景福宮」43頁-
- 「9 德壽宮と石造殿」46頁-
- 福岡市博物館「平成25年度収集」『収蔵品目録』第31巻、福岡市、2016年3月31日、NDLJP:12771145、2025年2月5日閲覧。
- 叢書
- 小田 省吾 著、小田先生頌寿記念会 編『小田先生頌寿記念朝鮮論集』大阪屋號書店、1934年。 NCID BN15286117。
- 小田 省吾、魚 允迪 著、朝鮮史学会、篠田 治策 編『朝鮮文廟及陞廡儒賢 . 辛未洪景来乱の研究 . 徳壽宮史』 86巻(復刻版)、龍溪書舎〈韓国併合史研究資料〉、2011年。ISBN 9784844702368。 NCID BB05174112。
脚注
編集
注釈
編集出典
編集- ^ 『대한제국 황제의 궁궐 : 2020 석조전 대한제국역사관 특별전』문화재청 궁능유적본부 덕수궁관리소、2020年9月。国立国会図書館書誌ID:1130288435413564170。石造殿古宮博物館2020年特別展「大韓帝国皇帝の宮闕」の図録。別題は『Imperial palace of the Daehan Empire』。
- ^ a b “国立古宮博物館 観覧案内”. 국립고궁박물관. 2025年2月4日閲覧。
- ^ a b c 『アジア情報室通報』 2021, 「2.4.2.4.国立現代美術館」
- ^ 国立現代美術館は1986年に現在地の京畿道果川市に移設[3]。
- ^ a b c “계간 시대정신 - 【건축】 석조전은 대한제국의 의문을 풀어줄 수 있는 열쇠 [Quarterly Zeitgeist - 【Architecture】 Stone Hall is the key to solving the mystery of the Korean Empire]” (朝鮮語). 2011年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月2日閲覧。
- ^ a b c d e 小田省吾『徳寿宮史』李王職、1938年。「デイビソンの手書きの計算書」を孫引き。
- ^ “국가등록문화재 덕수궁 석조전 동관 : 국가문화유산포털 - 문화재청” (朝鮮語) 2025年2月4日閲覧。
- ^ “国家遺産庁” (ja,en,ko,zh). heritage.go.kr. 2025年2月4日閲覧。
- ^ 『朝鮮地方行政』 1926, p. 6, 「京城德壽宮石造殿の壯麗」
- ^ 『朝鮮』 1934, 「德壽宮略史第8項」
- ^ 韓国史事典編纂会、金容権 編著 編『朝鮮韓国近現代史事典 :1860~2012』(第3版)日本評論社、2012年6月。国立国会図書館書誌ID:023671250。
- ^ 『朝鮮語: 석조전 대한제국역사관 [石造殿大韓帝国歴史館]』。国立国会図書館書誌ID:027156731。
- ^ 小田 1938, pp. 65–71, 「第6節 中和殿・大漢門及び石造殿」「図版6 石造殿 石造殿内部」
- ^ 大正写真工芸所
- ^ 小田 ほか 1927b, pp. 17–23
- ^ “독립신문 [独立新聞]” (朝鮮語). 独立新聞 (1897年4月6日). 2022年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月26日閲覧。
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- ^ 「- / - / 小田省吾等(朝鮮總督府)」『官報』1918年05月17日 1735 | NDLサーチ、国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2953848、2025年2月5日閲覧。
- ^ 「小田省吾等(朝鮮總督府)」『官報』1867 | NDLサーチ、1918年10月23日、国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2953981、2025年2月5日閲覧。
- ^ “朝鮮総督府事務官小田省吾叙位ノ件”. ジャパンサーチ. 2025年2月5日閲覧。
- ^ 「京城帝国大学予科教授小田省吾兼官ノ件(伺い)」『行政文書 > 第五類 任免裁可書 > 任免裁可書・大正十三年・任免巻二十四』、内閣「国立公文書館デジタルアーカイブ」収録、大正13-05-02、2025年2月5日閲覧。
- ^ CITEREF金承煕2003
- ^ 伊澤 2021, 「熊岡美彦作〈半裸像〉〈ホーレダム下絵(二)〉について」
- ^ 金承熙「徳寿宮石造殿の日本近代美術品展示」『日本近代美術展』2003年、112–21頁、OCLC 7065740309。「韓国国立中央博物館所蔵」注記=展覧会カタログ、会場:東京芸術大学大学美術館。
- ^ 小田省吾 等「景福宮再建の企画」『最近世史』〈朝鮮史大系〉昭和2年、17-23頁。doi:10.11501/1242288。NDLJP:1242288/1/21。
- ^ 鴛淵「小田省吾著『朝鮮小史』、鮎貝房之進著 『雜攷第一・二・三・四輯』、田川孝三著 『毛文龍と朝鮮との關係について』」『史林』第17巻第2号、史學硏究會(京都帝國大學文學部内)、1932年4月1日、301–306頁、doi:10.14989/shirin_17_301、ISSN 0386-9369。
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- ^ “コンテンツの二次利用について”. rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp. 2025年2月5日閲覧。