真田昌親
真田 昌親(さなだ まさちか)は、安土桃山時代の武将。真田昌幸の四男(末子)で、真田信之・信繁の弟にあたる[1]。通称は内匠(『寛政重修諸家譜』巻第654)。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正11年(1583年) |
死没 | 寛永8年(1632年) |
別名 | 内匠(通称) |
氏族 | 真田氏 |
父母 | 父:真田昌幸、母:不詳 |
兄弟 | 信之、信繁、信勝、昌親ほか |
子 | 信親(三男) |
生涯
編集昌幸の四男で末子。生母は某氏としかなく不明[2]。
信濃内村郷平井村(現在の上田市平井)に居住し、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いのときには兄の信之に従い、東軍(徳川方)についた。寛永8年(1632年)に死去。享年49。子の信親は本藩から内分分知され旗本となり、2000石を知行した。
脚注
編集参考文献
編集- 柴辻俊六『真田昌幸』吉川弘文館〈人物叢書〉、1996年。ISBN 464205202X。