真田 信親(さなだ のぶちか、生年不明 - 元禄13年5月26日1700年7月12日))は江戸時代旗本真田昌親の三男。通称は孫七郎。

元禄7年(1694年)8月21日、親族の信濃松代藩真田幸道から更級郡埴科郡高井郡の内に2,000石の内分分知を受け、寄合に列し、同年9月1日将軍徳川綱吉に拝謁した。

元禄13年(1700年)没。法名は性剛。深川の海臨寺に葬られた。

真田信弘を末期養子とし家督を相続させたが、後に松代藩主に転じたため、内分分知の采地も返還された。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜 巻第655』