相馬益胤
江戸時代後期の大名
相馬 益胤(そうま ますたね)は、江戸時代後期の大名。相馬氏第27代当主。陸奥相馬中村藩第11代藩主。第9代藩主・相馬祥胤の四男。正室は松平頼慎(水戸藩支流)の娘。従五位下、長門守。
相馬益胤 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 寛政8年1月10日(1796年2月18日) |
死没 | 弘化2年6月11日(1845年7月15日) |
官位 | 従五位下、長門守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 相馬中村藩 |
氏族 | 相馬氏 |
父母 |
父:相馬祥胤、母:松平忠告の娘 養父:相馬樹胤 |
兄弟 | 樹胤、定国、仙胤、益胤、永胤、相馬肥胤室、竹谷松平善長正室、伊東祐氏室、中西元道室、大久保忠列室 |
妻 |
正室:松平頼慎の娘 側室:池田氏 |
子 | 充胤、佐竹義典、佐竹義堯、佐竹義諶、岡田泰胤、娘(青山幸礼継室のち織田信学正室)、糸子、娘(相馬胤就室)、維子、相馬胤真室 |
経歴
編集文化10年(1813年)9月22日、兄である相馬樹胤の養子となる。同年10月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年11月10日、養父樹胤の隠居により、第11代藩主に就任した。なお、樹胤の生母は側室、益胤の実母は正室であった。同年12月16日、従五位下長門守に叙任。文化14年(1817年)から藩政改革に着手し、財政建て直しを図った。天保6年(1835年)3月7日、隠居し、家督を長男・充胤に譲った。弘化2年(1845年)死去。
系譜
編集父母
正室
- 高 ー 松平頼慎の娘
側室
- 池田氏
- 於藤
子女