相馬樹胤
江戸時代後期の大名
相馬 樹胤(そうま むらたね)は、江戸時代後期の大名。相馬氏第26代当主。陸奥相馬中村藩第10代藩主。第9代藩主・相馬祥胤の長男。養母は桜井松平忠告の娘。正室は藤井松平忠済の娘。官位は従五位下、豊前守。通称は内膳。
相馬樹胤 | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天明元年11月21日(1782年1月4日) |
死没 | 天保10年9月7日(1839年10月13日) |
別名 | 内膳 |
官位 | 従五位下、豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 相馬中村藩 |
氏族 | 相馬氏 |
父母 | 父:相馬祥胤、養母:松平忠告の娘 |
兄弟 | 樹胤、定国、仙胤、益胤、永胤、相馬肥胤室、竹谷松平善長正室、伊東祐氏室、中西元道室、大久保忠列室 |
妻 | 松平忠済の娘 |
子 | 著胤、真胤、佐竹義祚、朽木丈綱室、伊沢政義正室、戸田光韶正室 |
経歴
編集寛政7年(1795年)4月2日、父・祥胤の嫡子となる。寛政10年11月1日、将軍徳川家斉に御目見する。同年12月16日、従五位下讃岐守に叙任する。享和元年(1801年)3月25日、祥胤の死去により、家督を相続した。同年4月23日、因幡守に遷任。文化10年(1813年)11月10日に隠居。長男・著胤が夭折しており、家督は弟・益胤が継いだ。文化11年(1801年)[要検証 ]正月25日、豊前守に遷任。天保10年(1839年)に死去。
系譜
編集父母
正室
- 駒 ー 松平忠済の娘
側室
- 於暖方
- 芳尾
子女
養子
- 相馬益胤 ー 実弟