皇太夫人
天皇の生母で、前天皇の夫人だった人
皇太夫人(こうたいふじん/ぶにん・おおとじ・すめみおや・おおみおや)は、天皇の生母で、前天皇の夫人(のち女御)であった人をさす。醍醐天皇より前には、皇太后を「帝の母で后」、皇太妃を「帝の母で妃」と称したのに対しこう呼ばれた。ただし、天皇の即位前に薨去した生母については、生前に皇后になっていなくても皇太后を追贈された。また、皇太夫人となった後に皇太后とされることも多かった。醍醐天皇生母の藤原胤子は天皇即位前に薨去し皇太后を追贈され、また、朱雀天皇以降は生母が皇后であることが続いた。一条天皇生母の藤原詮子は皇后を経ずに一条天皇即位後に皇太后となり、結局、醍醐天皇養母である藤原温子を最後に皇太夫人の称は用いられなくなった。
皇太夫人一覧
編集- 藤原宮子 - 聖武天皇生母、文武天皇夫人、神亀元年(724年)3月22日皇太夫人(大御祖)、先に同年2月6日に大夫人(おおみおや)と号されていたものを撤回(のち太皇太后)
- 高野新笠 - 桓武天皇生母、光仁天皇夫人、天応元年(781年)4月15日皇太夫人(贈皇太后)
- 藤原順子 - 文徳天皇生母、仁明天皇女御、嘉祥3年(850年)4月17日皇太夫人(のち皇太后)
- 藤原明子 - 清和天皇生母、文徳天皇女御、天安2年(858年)11月7日皇太夫人(のち皇太后)
- 藤原高子 - 陽成天皇生母、清和天皇女御、貞観19年(877年)1月3日皇太夫人(のち皇太后)
- 班子女王 - 宇多天皇生母、光孝天皇女御、仁和3年(887年)11月17日皇太夫人(のち皇太后)
- 藤原温子 - 醍醐天皇養母、宇多天皇女御、寛平9年(897年)7月26日皇太夫人
大夫人
編集聖武天皇生母・藤原宮子も、神亀元年2月6日に大夫人と号されたが、上述のとおり同年3月22日に撤回され、令制のとおり皇太夫人となった。また、光明皇后の母(孝謙天皇の外祖母)の県犬養橘三千代も、死後の天平宝字4年(760年)8月7日に大夫人の称号を贈られている。
日本書紀で皇太夫人と記された例
編集日本書紀の編纂において、令制に合わせてつけられた呼称と考えられる。
脚注
編集参考文献
編集- 『日本女性人名辞典』、日本図書センター
- 『日本書紀(中)』、教育社、1992年