田江弥三郎
日本の明治時代の農業経営者、教育者、政治家
田江 弥三郎(彌三郎、たごう やさぶろう、1853年(嘉永6年4月[1][2])- 1895年(明治28年)5月8日[1][2])は、明治期の農業経営者・教育者・政治家。衆議院議員。
経歴
編集伯耆国久米郡弓原村(鳥取県[1]久米郡下北条村、東伯郡下北条村[2]弓原[3]、北条町[3]を経て現北栄町弓原)で、代々大庄屋を務めた田江家に生まれた[3]。大庄屋を務め農業を営む[1][2]。自邸内に家塾・択善学舎を設け子弟の教育を行った[1][2][3][4]。
1873年(明治6年)10月、第64区戸長となり、同年12月、第16区第7小区長に就任[4]。広正社[注釈 1]を創立して社長となり地域の金融の便を図った[1][2][3]。また、田江製糸の設立、ブドウ園の経営など、地域産業の振興に尽力した[4]。
1884年(明治17年)3月、補欠選挙で鳥取県会議員に当選し[3]、同年7月まで在任した[5]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(鳥取県第2区、無所属)で初当選し[3][4][6]、同年9月の第4回総選挙(鳥取県第2区、大手倶楽部)でも再選され[3][4][7]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2]。議員在任中の1895年5月に死去した[8]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 『新修北条町史』579頁では厚生社。