田村晃祐

日本の仏教学者 (1931-2022)

田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日[1] - 2022年7月1日[2])は、日本仏教学者。学位は、文学博士東京大学・乙種・1989年)。東洋大学名誉教授。専門は日本仏教史最澄徳一研究の第一人者。その他に聖徳太子親鸞井上円了も研究。茨城県多賀郡日立町(現、日立市)生まれ。

Tamura, Koyu
田村 晃祐
生誕 1931年2月5日
日本の旗 日本茨城県多賀郡日立町
死没 (2022-07-01) 2022年7月1日(91歳没)
研究分野 日本仏教史
研究機関 東洋大学
出身校 東京大学
博士課程
指導学生
師茂樹
主な業績 『最澄教学の研究』
主な受賞歴 鈴木学術財団特別賞(1996年)
中村元東方学術賞(2003年)
プロジェクト:人物伝
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経歴

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学歴

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1931年2月、茨城県多賀郡日立町真宗大谷派寺院に生まれる[3]。1949年、茨城県立日立第一高等学校を卒業後、東京大学文学部印度哲学梵文学科(現:インド哲学仏教学専修課程)に進む。1954年に同大学院人文科学研究科修士課程に進み、1961年に同博士課程満期退学。1989年に『最澄教学の研究 - 最澄,徳一論争を通じて-』で文学博士(乙種、東京大学)[4]

職歴

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1962年にセイロン政府文化局・英文仏教百科大辞典編纂所員に、1965年に二松学舎大学専任講師助教授を経て、1972年に東洋大学文学部仏教学科(のちインド哲学科)助教授、1977年に教授に昇任。附属牛久高等学校校長、仏教学専攻主任、大学院委員長、学校法人東洋大学理事評議員を務める。2000年に定年退職、名誉教授に[5]

ワンハン大学早稲田大学客員教授茨城大学、東京大学、筑波大学清泉女子大学国際仏教学大学院大学日本大学聖徳太子奉賛会、東洋学林で非常勤講師も務めた。

2022年7月1日、慢性腎不全のため死去[1]

学会等役職歴

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受賞歴

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著書

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博士論文

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  • 『最澄教学の研究 - 最澄、徳一論争を通じて-』(文学博士、乙種、東京大学、1989年)[4]

単著

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編書

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編著

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監修

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  • 『「傍訳」最澄山家学生式・顕戒論』(天台宗研究会編著、四季社、2005年)

共訳

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論文

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出演

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TV

参考文献

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  • 「田村晃祐教授略歴・業績目録」(『東洋学論叢』26号、東洋大学文学部、2003年)
  • 森章司「田村晃祐教授を送る」(『東洋学論叢』26号、東洋大学文学部、2003年)

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典 2021〜2023』日外アソシエーツ、2024年、p.363。
  2. ^ “田村晃祐さん死去”. 朝日新聞. (2022年7月14日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15355585.html 2022年7月14日閲覧。 
  3. ^ 「田村晃祐教授略歴・業績目録」(『東洋学論叢』26号、東洋大学文学部、2003年)
  4. ^ a b CiNii>博論
  5. ^ 東洋大学>インド哲学科>沿革
  6. ^ 「第13回「中村元東方学術賞」授賞理由」
  7. ^ 元版は「日本の名著2 聖徳太子」中央公論社、1970年
  8. ^ NHK心の時代>仏教を生きる(1)