田口 房富(たぐち の ふさとみ)は、平安時代初期の貴族朝臣図書権助・田口年勝の子とする系図がある。官位正五位下美濃守

 
田口房富
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 斉衡2年(855年)閏4月
官位 正五位下美濃守
主君 淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 田口朝臣
父母 父:田口年勝
広樹
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経歴

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淳和朝末の天長9年(832年従五位下叙爵する。

仁明朝では左衛門権佐を務め、在職中に以下の活動記録が残っている。

承和8年(841年)従五位上に叙せられ、仁明朝末の嘉祥2年(849年)美濃守として地方官に転じる。

文徳朝仁寿3年(853年正五位下に叙せられる。斉衡2年(855年推訴使として日向守嗣岑王の元に派遣されるが、同年閏4月に兵を発した嗣岑王に殺害された。

官歴

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六国史』による。

系譜

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  • 父:田口年勝[3]
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:田口広樹[3]

脚注

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  1. ^ 『続日本後紀』承和6年11月5日条
  2. ^ 『続日本後紀』承和7年5月8日条
  3. ^ a b 鈴木真年『百家系図』巻55,田口朝臣

参考文献

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