田口房富
田口 房富(たぐち の ふさとみ)は、平安時代初期の貴族。姓は朝臣。図書権助・田口年勝の子とする系図がある。官位は正五位下・美濃守。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 斉衡2年(855年)閏4月 |
官位 | 正五位下・美濃守 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 田口朝臣 |
父母 | 父:田口年勝 |
子 | 広樹 |
経歴
編集仁明朝では左衛門権佐を務め、在職中に以下の活動記録が残っている。
- 承和6年(839年)伊勢斎宮で火災が発生し官舎100余棟が焼失した際、斎内親王(久子内親王)を慰問するために派遣された[1]。
- 承和7年(840年)淳和上皇が崩御した際、鈴鹿関の固関のために伊勢国へ派遣された[2]。
承和8年(841年)従五位上に叙せられ、仁明朝末の嘉祥2年(849年)美濃守として地方官に転じる。
文徳朝の仁寿3年(853年)正五位下に叙せられる。斉衡2年(855年)推訴使として日向守・嗣岑王の元に派遣されるが、同年閏4月に兵を発した嗣岑王に殺害された。
官歴
編集『六国史』による。