嗣岑王(つぐみねおう、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての皇族。名は嗣峯王とも記される。官位は従五位下・日向守。
仁明朝末の嘉祥3年(850年)従五位下・日向守に叙任される。
文徳朝の斉衡2年(855年)嗣岑王は何らかの事件を起こしたらしく、推訴使として田口房富が派遣される。しかし、嗣岑王は兵を発し房富を殺害したことから、官爵を剥奪されてしまう。その後、密かに入京したことから斉衡4年(857年)正月に右京職に散禁されている。その後、貞観元年(859年)になって太政官論奏があり、先に断罪されたとおり官当の処分となった。
『六国史』による。