玉城町国民健康保険玉城病院

三重県度会郡玉城町にある病院

玉城町国民健康保険玉城病院(たまきちょうこくみんけんこうほけんたまきびょういん)は、三重県度会郡玉城町佐田にある町立病院である。通称は玉城病院である。新聞記事などでは町立玉城病院と表記される場合がある。

玉城町国民健康保険玉城病院
情報
前身 度会郡城山病院
許可病床数 50床
療養病床:50床
開設者 度会郡玉城町
管理者 本泉誠(院長)
開設年月日 1956年(昭和31年)4月
所在地
519-0414
三重県度会郡玉城町佐田881番地
位置 北緯34度29分22.7秒 東経136度38分22.6秒 / 北緯34.489639度 東経136.639611度 / 34.489639; 136.639611
二次医療圏 南勢志摩(伊勢志摩サブ)
PJ 医療機関
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概要

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  • 所在地:〒519-0414 三重県度会郡玉城町佐田881番地
  • 病棟
    • 鉄筋コンクリート3階建て
    • 延べ床面積 3,964m2
    • 1階は、診察室(4室)、キプス室、処置・点滴室(5床)、レントゲン室、内視鏡室、エコー室、検体検査室、生理検査室(心電図、聴覚検査、視力等)、手術室、中央材料室、調剤室、DI室、総合相談室、受付、会計、待合い、医事課事務室、給食調理室、警備員室、一般トイレ、多目的トイレ、救急処置室、機能訓練室、健診室、多目的室 などがある。
    • 2階は、50床の病室、HCU(2床)、ナースステーション、処置室、準備室、カンファレンス室、デイ・ルーム、談話室、浴室(特別浴室、一般浴室)、洗濯室、倉庫 などがある。
    • 3階は、院長室、医局、看護師長室、当直室、管理事務室、病歴管理室、会議室、男子・女子更衣室、職員食堂、洗濯室、倉庫 などがある。
    • エレベーター(寝台用)2基がある。
附属施設
  • 玉城町介護老人保健施設「ケアハイツ玉城」が併設されている。
    • 鉄筋コンクリート造 2階建
    • 床面積 1階 1,231.88m2、2階 675.29m2、合計 1,907.17m2
    • 定員51名

診療科目

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過去にあった診療科目

沿革

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  • 昭和初期、田丸城郭内にあった感化院[注釈 1]は、戦時中に軍人援護会田丸勲児寮[注釈 2]となり、さらに同胞援護会と改称する。
  • この施設の土地及び建物(土地4町6反3畝6歩、建物153坪)の払い下げを受けて、病院設置が決定され、1948年昭和23年)7月28日、城山文化厚生農業協同組合連合会が設置母体となり、設立認可を受ける。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 田丸・有田・東外城田農業協同組合を設置主体として、田丸城郭内に保障責任医療利用購売組合連合会城山病院が開設する。
  • 1949年(昭和24年)9月 - 田丸町東外城田村有田村で組織する度会郡城山病院組合が設置管理する度会郡城山病院となる。
  • 1951年(昭和26年) - 大豐和紙工業田丸工場跡地[注釈 3]を買収し、病院を移転改築する。(現在地)
    • 移転に伴い、西外城田村からの要望により、西外城田村国民健康保険運営診療所を城山病院の分院として医師らを常置し、必要な設備を施すことにした。
  • 1953年(昭和28年) - 田丸町隣接町村の一部事務組合隔離病棟が併設される。
  • 1956年(昭和31年)3月31日 - 一部事務組合隔離病棟が廃止される。
  • 1956年(昭和31年)4月 - 町村合併による玉城町の発足に伴い、玉城町に経営が移管され、玉城町国民保険玉城病院となる。
  • 1963年(昭和38年)、医師の就任が困難となり、公立病院として存続するか、経営を委託するかで議論が起こった。しかし、医師確保の努力の結果、新たな病院長が就任し経営が改善され、公立病院として存続される。
  • 1968年(昭和43年)6月 - 病棟(1967年(昭和42年)11月着工)が完成する。
  • 1969年(昭和44年)3月 - 診療棟(1968年(昭和43年)9月着工)が完成する。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 病院長の退任に伴い休診[1][2][3]
  • 1973年(昭和48年)8月3日 - オープンシステムを採用し病院再開[4]
  • 1988年(昭和63年)1月 - リハビリ棟および倉庫棟(1987年(昭和62年)8月着工)が完成する。
  • 1990年平成2年)5月1日 - 病院敷地内に玉城町介護老人保健施設「ケアハイツ玉城」を新築する。
  • 1992年(平成4年)3月 - CT棟(1991年(平成3年)12月着工)が完成する。
  • 1995年(平成7年)2月 - 昇降機棟(1994年(平成6年)10月着工)が完成する。
  • 2003年(平成15年)9月 - 老朽化した病院の改修工事に着手する。
  • 2004年(平成16年)7月 - 病院の第1期工事が完了する[5]
  • 2004年8月3日 - 新病院での診療を開始する[6]
  • 2004年8月9日 - 第2期工事(既存の病棟と外来棟、レントゲン棟、調理棟の4棟を取り壊し、リハビリ室や院外薬局の新設など)を開始する。
  • 2005年(平成17年)1月31日 - 病院の第2期工事が完了する[7]

交通アクセス

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参考文献

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  • 『三重県 玉城町史 下巻』2005年3月25日発行、編纂:三重県玉城町史下巻編纂委員会、発行:玉城町
  • 『ふるさと玉城の歴史』2001年3月31日発行、編集:玉城町史ダイジェスト版編纂委員会、発行:玉城町
  • 『広報たまき 縮刷版・第一巻』1995年11月発行、発行:玉城町役場、編集:総務課 広報編集委員

脚注

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注釈

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  1. ^ 1934年(昭和10年)12月 に四日市にあった三重感化院が三重昭徳園と改称し、度会郡田丸町へ移転する。
  2. ^ 1943年(昭和18年) - 三重昭徳園の施設を引き継いで軍人援護会三重県支部の勢南勲児寮を開設、国民学校初等科3年以上に在籍の身体虚弱児を対象として入寮の上、治療及び教育を施す。
  3. ^ 柔軟オブラートを発明した小林政太郎(1872年-1947年)が設立した「小林柔軟オブラート製造所」の工場(1937年に閉鎖)があった場所でもある。『ふるさと玉城の歴史』(2001年、玉城町発行)より。

出典

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  1. ^ 「医師確保の見通しつかず 玉城病院廃止へ 一ヶ月休診決める 玉城町議会」伊勢新聞 1973年3月30日付 7面
  2. ^ 『広報たまき 縮刷版・第一巻』267ページ
  3. ^ 「"福祉元年"というのに… 町立玉城病院 まだ当分"本日休診" 医者捜す気あるのか 町民怒る」伊勢新聞 1973年4月25日付 7面
  4. ^ 『広報たまき 縮刷版・第一巻』277ページ
  5. ^ 「玉城病院“装い一新” 建て替え ほぼ完了 8月初旬にも開院 ベット17床増 療養型の治療に力」中日新聞 2004年6月6日付 朝刊 24面 伊勢志摩版
  6. ^ 「新玉城病院3日に開院 職員ら引っ越し作業 一般と老人病棟完備 入院ベッド50床」中日新聞 2004年8月1日付 朝刊 20面 伊勢志摩版
  7. ^ 「リハビリ室広々 快適に 玉城病院 第2期工事が完了」中日新聞 2005年2月1日付 朝刊 22面 伊勢志摩版

関連項目

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外部リンク

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