玄梧鳳
玄 梧鳳(ヒョン・オボン、朝鮮語: 현오봉、1923年3月26日 - 1982年10月16日[1])は、大韓民国の政治家[2]。第4・6・7・8・9・10代大韓民国国会議員。本貫は延州玄氏。
経歴
編集1923年3月26日、済州島の南済州郡で生まれた。日本の興國商業学校(現・興國高等学校)を卒業し、ソウル大学校経営大学院に進学した。光復後、左翼が活発だった済州島でしばらく警察に籍を置いたが、1947年に商工部鉱務局に移った[3]。
1956年に大明鉱業開発の専務を務め、その後1958年5月2日に行われた第4代総選挙で初当選し国会議員となった。四月革命と5・16軍事クーデターでしばらく政治活動を休止したが、1963年の第6代総選挙で民主共和党所属で当選し、国会運営委員長兼民主共和党院内総務を務めた。1967年の第7代総選挙後に国会運営委員長、1971年の第8代総選挙後に民主共和党院内総務、1973年第9代総選挙でも維新政友会所属で当選し、国会建設委員会委員長を務めた後、1976年には維新政友会政策委員会議長を務めた。1978年の第10代総選挙で民主共和党所属で当選し、国会運営委員長兼民主共和党院内総務、民主共和党党務議員、民主共和党済州島党務協議会議長、韓・コロンビア議員親善協会会長などを務めた[3]。
また、1969年に済州島出身の選抜学生に対し奨学支援をする済州島奨学会を設立し、同財団の理事長を務めた[4][5]。1982年10月16日、59歳で亡くなった。
学歴
編集- 興國商業学校(現・興國高等学校)
- ソウル大学校経営大学院
略歴
編集エピソード
編集済州道で選出された経歴を持つ国会議員としては梁正圭と並ぶ6選の最多選議員である。5選の玄敬大、連続4選の姜昌一はその次である[6]。
脚注
編集- ^ “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2021年11月30日閲覧。
- ^ “정치권 호령 巨木..."인재 키워야 제주 미래 있다"” (朝鮮語). 뉴제주일보 (2017年10月22日). 2021年11月30日閲覧。
- ^ a b “현오봉(玄梧鳳)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “현오봉 선생 인재 양성의 뜻 49년째 이어져 ‘눈길’” (朝鮮語). 뉴제주일보 (2018年3月28日). 2021年11月30日閲覧。
- ^ ““사람을 키워라” 가난한 제주 대학생 위한 반세기 인재양성” (朝鮮語). 제주의소리 (2019年1月4日). 2021年11月30日閲覧。
- ^ “제헌국회의원 선거 4·3으로 무효 '곡절'” (朝鮮語). 제주의 대표 신문 한라일보 www.ihalla.com (2020年1月19日). 2023年10月20日閲覧。