深田康算
深田 康算(ふかだ やすかず、1878年(明治11年)10月19日 - 1928年(昭和3年)11月12日)は、日本の美学者。京都帝国大学教授。山形県生まれ。父は旧会津藩士深田康守で、その長男[1]。大塚保治とともに日本における美学研究の先駆者となる[2]。中井正一は門下生で、深田の死後その全集の編纂を行った[3]。
ライプツィヒにて撮影 | |
人物情報 | |
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生誕 |
1878年10月19日 山形県 |
死没 |
1928年11月12日(50歳没) 京都府 |
出身校 | 東京帝国大学文科大学 |
配偶者 | 斎藤あさ[1] |
学問 | |
称号 | 京都帝国大学教授 |
略歴
編集- 1896年6月 - 高等師範学校附属尋常中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
画像外部リンク | |
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忠愛之友倶楽部東京支部 中列左から三番目が深田、前列右端吉野作造 東北大学関係写真データーベース 1902年5月撮影 |
著書
編集翻訳
編集- ケーベル博士小品集 久保勉共訳 岩波書店 1919
出典
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 深田康守 蜻蛉帖(近代デジタルライブラリー)