浅野綱晟

安芸広島藩3代藩主。浅野家18代。浅野光晟の長男。従四位下、弾正大弼、侍従

浅野 綱晟(あさの つなあきら)は、安芸国広島藩の第3代藩主。浅野家18代当主。

 
浅野 綱晟
時代 江戸時代前期
生誕 寛永14年4月29日1637年6月21日
死没 寛文13年1月2日1673年2月18日
改名 岩松(幼名)、綱晟
戒名 天心院殿徹性日通大居士
墓所 広島県広島市の新庄山墓地
官位 従四位下弾正大弼侍従
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
安芸広島藩
氏族 浅野氏
父母 浅野光晟自昌院
兄弟 綱晟、市、亀、長尚長照、久
正室九条道房の長女・愛姫
継室九条道房の5女・八代姫
綱長長澄本多忠常正室
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第2代主・浅野光晟の長男。母は前田利常の娘・満姫。官位は従四位下、弾正大弼侍従。幼名は岩松。

生涯

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寛永15年(1638年)、非公式に登城し、第3代将軍・徳川家光に拝謁する。承応2年(1653年)12月21日、元服し、第4代将軍・徳川家綱偏諱を受け綱晟と名乗る。従四位下・弾正少弼に任官する。寛文3年(1663年)、新山村に「日新館」という名の別荘を設け、新山八景を選んだという。寛文8年12月27日(1669年)、侍従に任官し、弾正大弼に改める。

寛文12年(1672年)4月18日の父の隠居により跡を継ぐが、翌年正月2日に江戸藩邸にて疱瘡により死去した。享年37。跡を長男の綱長が継いだ。法号は天心院殿徹性日通大居士。墓所は広島県広島市の新庄山墓地。

妻室

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