河野通次
河野 通次(こうの みちつぐ)は、江戸時代の武将。徳川家家臣。八王子千人同心9人の千人頭の一家。
時代 | 江戸時代初期 |
---|---|
生誕 | 慶長2年(1597年) |
死没 | 寛永9年8月8日(1632年9月21日) |
別名 | 小右衛門 |
戒名 | 英公(法名) |
墓所 | 普済寺(東京都立川市) |
主君 | 徳川家 |
氏族 | 志村氏→伊予越智氏 |
父母 |
父:志村貞精、母:鷹野右近の娘 養父:河野通玄 |
兄弟 | 志村貞昌、田澤治右衛門、河野通次 |
妻 | 河野通玄の娘 |
子 | 河野高嘉、河野通貫、河野通久、娘(鈴木重次の妻) |
略歴
編集志村貞精の三男として生まれる。河野通玄の子が病弱だったため、通玄の娘婿となった。
元和8年(1622年)跡を継ぎ、八王子千人頭を務める。寛永8年(1631年)、武蔵国都筑郡・上総国周淮郡において270石を知行する。寛永9年(1632年)8月8日、36歳で死去。
脚注
編集