河野通玄
河野 通玄(こうの みちはる)は、江戸時代の武将。徳川家家臣。八王子千人同心9人の千人頭の一家。
時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正14年(1586年) |
死没 | 明暦元年5月14日(1655年6月18日) |
別名 | 藤次郎、掃部助 |
戒名 | 恵海(法名) |
墓所 | 興岳寺 |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康 |
氏族 | 伊予越智氏 |
父母 | 父:河野通郷、母:跡部紀伊守の娘 |
妻 | 小宮山民部の娘 |
子 |
娘(河野通次妻)、河野通忠、河野通国、娘(浜名玄蕃国音の妻)、河野通好、河野通勝、河野通政 養子:河野通次 |
略歴
編集慶長3年(1598年)父・河野通郷の後を継ぐ。慶長5年(1600年)会津征伐。志村貞精、窪田正吉(窪田吉正)、中村安利、山本忠房、計5人の千人頭にて下野国小山参陣。同年の関ケ原本戦にて、配下100人に増員して、千人頭10名。村越直吉と先を争い、徳川家康指名にて河野通玄が指揮にて長柄備を指名される。(家康本陣、遣奉行、河野盛利か?)
明暦元年(1655年)5月14日死去。享年70。
子孫は八王子千人頭の10家の内の一家として幕末まで旗本として徳川幕府に仕えた。
脚注
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