沖田 キン(おきた きん、天保7年4月11日1836年5月25日) - 明治41年(1908年4月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての女性。沖田みつの妹、新選組一番隊長沖田総司の姉、中野由秀の妻、技師中野鑑三郎の母。

生涯

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天保7年(1836年) 、元陸奥国白河藩士沖田勝次郎の次女に生まれる。沖田家の家伝では、館林藩家老の中野伝衛門由秀に稼いだとされるが、正しくは、文久3年(1863年)に新封された越後三根山藩牧野家の家臣で、二三俵三人扶持の中野伝之丞由秀の妻となっている。 由秀の誕生日は天保3年(1832年5月6日であるので、キンより4歳年上だったと考えられる。結婚年次は不明だが、嘉永6年(1853年)に長女・ナミが誕生していることから、前年中の17歳の時と思われる。その後、安政5年(1858年)に次女・ムツ、文久3年に長男・鑑三郎が生まれている。

中野家は江戸詰の藩士で、この間、一家は江戸下屋敷の長屋に暮らしていたものと思われるが、慶応4年(1868年)2月に帰国の途についた。明治維新後は新潟県西蒲原郡峰岡村一二番戸四〇三番地に住み、明治3年(1870年)に三女・ミドリ、明治9年(1876年)四女・シゲ、明治11年(1878年)に五女・フジが誕生している。

キンは姉・みつが没した翌年の明治41年(1908年4月2日午前10時に73歳で他界、死亡届が4月6日東京下京区に提出されていることから、伝之丞が明治16年(1883年)12月に隠居、明治24年(1891年10月24日に死亡しており、これらを機に上京した可能性がある。

参考文献

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  • 新選組大人名事典(上) (新人物往来社 、2001) 解説は菊地明ほか
  • 新選組大人名事典(下) (新人物往来社 、2001) 解説は菊地明ほか