池田長泰
江戸時代前期の備前岡山藩家老。建部池田家(森寺池田家)5代。池田長幸の四男
池田 長泰(いけだ ながやす)は、江戸時代前期の備前国岡山藩の家老。通称は下総。建部池田家(森寺池田家)5代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永3年(1626年) |
死没 | 明暦3年2月26日(1657年4月9日) |
別名 | 下総(通称) |
主君 | 池田光政 |
藩 | 備前岡山藩 |
氏族 | 池田氏(長吉流)、池田氏(長政流) |
父母 | 池田長幸、池田長政 |
兄弟 |
長常、長教、長信、長泰、長重、 高島長親、水野成言正室、鶴、 堀直時正室、荒尾宣就室 |
妻 | 池田利政娘森昌院 |
子 | 宗春、土倉一長正室 |
略歴
編集寛永3年(1626年)、備中国松山藩主・池田長幸の四男として備中松山で誕生。
岡山藩家老の叔父池田長政の養子となり、寛永12年(1635年)に家督相続、建部1万4000石の領主となる。寛永18年(1641年)、実家の松山藩が、藩主の長兄長常が没し末期養子を認められず改易となる。三兄長信は1000石を与えられ旗本となった。
明暦3年(1657年)2月26日没。享年32。家督は嫡男宗春が相続した。正室の森昌院は、宝永4年(1707年)12月6日に84歳で没している。
系譜
編集参考文献
編集- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』
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