池田長信

江戸時代前期の旗本。池田長幸の三男。井原池田家(池田修理家)初代

池田 長信(いけだ ながのぶ)は、江戸時代前期の旗本通称は左兵衛、修理

 
池田長信
時代 江戸時代前期
生誕 元和8年(1622年
死没 明暦2年8月24日1656年10月11日
別名 左兵衛、修理(通称)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家光家綱
氏族 池田氏(長吉流)
父母 池田長幸
兄弟 長常長教長信長泰長重
高島長親水野成言正室、鶴、
堀直時正室、荒尾宣就
朝比奈氏、安藤氏
友政利重分部信政
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略歴

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元和8年(1622年)、備中国松山藩主・池田長幸の三男として誕生。

寛永17年(1640年)、小姓組番士となる。後、書院番に移る。寛永19年(1642年)、備中後月郡のうち井原村・片塚村・宇戸川村・梶江村の4か村において1000石を与えられ、旗本となり、井原陣屋を構えた。慶安元年(1648年)、書院番の組頭となった。

明暦2年(1656年)、35歳で死去。跡を長男・友政が継いだ。

系譜

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先代
井原池田家(池田修理家)
初代
1642年 - 1656年
次代
池田友政