永井直陳
永井 直陳(ながい なおのぶ)は、武蔵岩槻藩の第3代藩主。のちに美濃加納藩の初代藩主。尚庸系永井家4代。
永井直陳像 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 元禄11年(1698年) |
死没 | 宝暦12年11月26日(1763年1月9日) |
改名 | 主馬(通称)、直陳 |
別名 | 尚英(別名) |
戒名 | 機雲観忠賢覚院 |
墓所 | 東京都中野区上高田の功運寺 |
官位 | 従五位下・伊豆守、伊賀守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 武蔵国岩槻藩主→美濃国加納藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 |
父:永井直敬、母:永井尚右の娘 養父:永井尚平 |
兄弟 | 尚品、尚平、直陳、尚方、内藤頼由 |
妻 | 正室:松平信庸の娘、継室:加藤嘉矩の娘 |
子 |
尚俶、尚志、娘(小笠原信胤正室のち松平近輝正室のち大久保忠烈正室)、娘(松平親盈正室)、 養子:尚備 |
略伝
編集元禄11年(1698年)、武蔵岩槻藩の初代藩主・永井直敬の三男として生まれた。正徳元年(1711年)の父の死去により、家督は兄の尚平が継ぎ、直陳は1500石を分与された。正徳4年(1714年)に兄が死去したため、その養子として家督を継承した。継承の際、1千五百石は収公された。同年12月28日に従五位下、伊豆守に叙任された。享保15年(1730年)には伊賀守に転任した。1739年、奏者番に任じられた。その他、生涯に大阪加番を八度も務めた。
宝暦6年(1756年)5月21日、武蔵岩槻藩から美濃加納藩に移封された。長男の尚俶、次男の尚志がいずれも早世していたため、宝暦12年(1762年)8月2日に甥で義理の婿養子の尚備に家督を譲って隠居し、同年11月26日に死去した。享年65。
系譜
編集父母
正室
子女
養子