水間百合子
水間百合子(みずま ゆりこ、1970年〈昭和45年〉7月22日 - )は、山形県出身、埼玉県育ちの元女子サッカー選手、元日本女子代表。現役時代のポジションはおもにフォワード。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
カタカナ | ミズマ ユリコ | |||||
ラテン文字 | MIZUMA Yuriko | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1970年7月22日(54歳) | |||||
出身地 | 山形県 | |||||
身長 | 163cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
浦和本太レディースFC | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992 | 浦和本太レディースFC | |||||
1993-1995 |
旭国際バニーズ / 宝塚バニーズレディースサッカークラブ | 49 | (18) | |||
通算 | 49 | (18) | ||||
代表歴 | ||||||
1990-1994 | 日本 | 22 | (10) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
主な経歴
編集山形県に生まれ、3歳より埼玉県浦和市(現・さいたま市)にて育つ。幼稚園児のころ、運動神経のよさから器械体操をはじめる。一時期は少年野球チームにも所属したが、オリンピック出場も期待される逸材であったため小学2年のころ野球チームを退部した。しかし小学4年のころ練習中のアクシデントにより体操ができなくなり、復帰すべく努力したが小学5年で夢を断念することになった。
その後、当時流行していた漫画「キャプテン翼」の影響もありサッカーに関心を示し、近所の男の子たちと一緒になって楽しんでいたが、中学校では女子サッカー部がなかったためバレーボール部に入部。しかし浦和本太レディースFCのメンバー募集を知り、サッカーに挑むことになった。浦和本太は当初、いわゆる「ママさんサッカーチーム」として発足したため練習時間が限られていたが、同じような境遇の中学生が同時期に入部したこともあり「ジュニアチーム」に登録変更。そのため本格的なチーム活動が行われるようになった。また限られた活動時間を補うため、中学校では陸上競技部に所属し基礎体力を積み上げていった。
このような努力の結果により日本女子代表の一員に選ばれ、1990年の第11回アジア競技大会(中華人民共和国・北京)において、北朝鮮戦でゴールを決め、銀メダル獲得に貢献した。また1991年に行われた第1回FIFA女子ワールドカップ (中華人民共和国)のメンバーにも選出された。
この活躍により日本女子サッカーリーグ(JLSL:現・なでしこリーグ)所属チームからオファーを受けたが、チーム事情もあり引き続き浦和本太に所属。1992年にはチームがJLSLチャレンジリーグに参加し、JLSL昇格を目指していた。1993年、旭国際バニーズにプロ契約選手として移籍[注 1]。
1995年、練習中のケガにより一時リタイア。このことがきっかけとなってバニーズを退団し、リハビリテーションに専念することとなった。
1998年、浦和レディースFC(浦和本太レディースFC改め)の一部メンバーとともに浦和レイナスの発足に携わる。その年のシーズン限りで引退。
個人成績
編集この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1992 | 浦和本太レディースFC | 19 | JLSLチャレンジ | - | |||||||
1993 | 旭国際バニーズ | 8 | JLSL | 12 | 5 | - | |||||
1994 | 17 | L・リーグ | 26 | 7 | - | ||||||
1995 | 宝塚バニーズレディースサッカークラブ | 11 | 6 | 0 | - | ||||||
通算 | 日本 | 1部 | 49 | 18 | 0 | 0 | |||||
日本 | 2部 | 0 | 0 | ||||||||
総通算 | 0 | 0 |
代表歴
編集主な出場歴
編集- 1990年 - 第11回アジア競技大会 (北京)
- 1991年 - 第1回FIFA女子ワールドカップ (中華人民共和国)
試合数
編集
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1990 | 5 | 3 |
1991 | 11 | 2 |
1993 | 5 | 5 |
1994 | 1 | 0 |
通算 | 22 | 10 |
- 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[1]
出場
編集# | 開催日 | 開催地 | 会場 | 相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1990年09月09日 | 釜山 | 韓国 | ○5-0 | 鈴木保 | 国際親善試合 | |
2 | 1990年09月29日 | 北京 | 韓国 | ○8-1 | アジア大会 | ||
3 | 1990年10月01日 | 北京 | 香港 | ○5-0 | アジア大会 | ||
4 | 1990年10月03日 | 北京 | チャイニーズタイペイ | ○3-1 | アジア大会 | ||
5 | 1990年10月06日 | 北京 | 朝鮮民主主義人民共和国 | △1-1 | アジア大会 | ||
6 | 1991年04月01日 | ヴァルナ | フランス | ●1-3 | ヴァルナ国際大会 | ||
7 | 1991年04月03日 | ヴァルナ | スウェーデン | △2-2 | ヴァルナ国際大会 | ||
8 | 1991年04月05日 | ヴァルナ | ハンガリー | ○2-0 | ヴァルナ国際大会 | ||
9 | 1991年05月26日 | 福岡県 | 平和台陸上競技場 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○1-0 | アジア選手権 | |
10 | 1991年06月01日 | 福岡県 | 福岡県営春日公園 | マレーシア | ○12-0 | アジア選手権 | |
11 | 1991年06月03日 | 福岡県 | 平和台陸上競技場 | シンガポール | ○10-0 | アジア選手権 | |
12 | 1991年06月06日 | 福岡県 | 東平尾公園博多の森陸上競技場 | チャイニーズタイペイ | △0-0(PK5-4) | アジア選手権 | |
13 | 1991年06月08日 | 福岡県 | 東平尾公園博多の森陸上競技場 | 中国 | ●0-5 | アジア選手権 | |
14 | 1991年08月21日 | 大連 | 中国 | △0-0 | 国際親善試合 | ||
15 | 1991年11月17日 | 仏山 | ブラジル | ●0-1 | 世界選手権 | ||
16 | 1991年11月19日 | 仏山 | スウェーデン | ●0-8 | 世界選手権 | ||
17 | 1993年12月04日 | クチン | チャイニーズタイペイ | ○6-1 | アジア選手権 | ||
18 | 1993年12月06日 | クチン | フィリピン | ○15-0 | アジア選手権 | ||
19 | 1993年12月08日 | クチン | 香港 | ○4-0 | アジア選手権 | ||
20 | 1993年12月10日 | クチン | 中国 | ●1-3 | アジア選手権 | ||
21 | 1993年12月12日 | クチン | チャイニーズタイペイ | ○3-0 | アジア選手権 | ||
22 | 1994年08月21日 | ドブニッツア | オーストリア | ○1-0 | スロバキア国際大会 |
ゴール
編集# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1990年9月9日 | 釜山 | 韓国 | ○ 5-0 | 国際親善試合 |
2 | 1990年9月29日 | 北京 | 韓国 | ○ 8-1 | 1990年アジア競技大会 |
3 | 1990年10月6日 | 朝鮮民主主義人民共和国 | △ 1-1 | ||
4 | 1991年4月3日 | ヴァルナ | スウェーデン | △ 1-1 | 第4回ヴァルナ国際女子大会 |
5 | 1991年6月1日 | 福岡県 | マレーシア | ○ 12-0 | 1991 AFC女子選手権 |
6 | 1993年12月4日 | クチン | チャイニーズタイペイ | ○ 6-1 | 1993 AFC女子選手権 |
7 | 1993年12月6日 | フィリピン | ○ 15-0 | ||
8 | |||||
9 | |||||
10 | 1993年12月12日 | チャイニーズタイペイ | ○ 3-0 |
関連作品
編集- 『女に生まれて男で生きて』(水間百合子・著 河出書房新社 ISBN 4309017878 2006年)
- 『歌舞伎町の住人たち』(李小牧・著 河出書房新社 ISBN 4309017282 2005年)引退後の生活(当時)のインタビューがある
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “なでしこジャパン(日本女子代表) 試合別出場記録”. 日本サッカー協会 (2008年7月29日). 2021年6月12日閲覧。