毛利高成
毛利 高成(もうり たかなり)は、江戸時代前期の大名。豊後国佐伯藩の第2代藩主。官位は従五位下・摂津守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長8年(1603年) |
死没 | 寛永9年11月7日(1632年12月18日) |
戒名 | 松桂院 |
墓所 | 大分県佐伯市の養賢寺 |
官位 | 従五位下摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光 |
藩 | 豊後佐伯藩主 |
氏族 | 毛利氏 |
父母 | 父:毛利高政、母:木曾義昌の娘 |
兄弟 | 高成、高定[1]、松平重長正室 |
妻 | 正室:佐久間安政の3女 |
子 | 高直、川口宗重室 |
略歴
編集寛永5年(1628年)11月、父の死去により家督を継ぐ。寛永9年(1632年)5月、中川久盛と共に加藤忠広改易後の城番を務めたが、それが終わって帰途についてから発病し、同年11月7日に急死した。法号は松桂院。墓所は佐伯の養賢寺。
跡を長男高直が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 佐久間安政の三女
子女