松平重長
松平 重長(まつだいら しげなが)は、江戸時代初期の武士。松平重勝の次男。官位は淡路守。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正2年(1574年) |
死没 | 慶長20年1月5日(1615年2月2日) |
官位 | 淡路守 |
主君 | 松平忠輝 |
藩 | 越後高田藩付家老 |
氏族 | 能見松平家 |
父母 | 父:松平重勝、母:鳥居忠吉娘 |
兄弟 |
重忠、重長、重則、重信、勝隆、 岩瀬氏与室ら |
妻 |
正室:毛利高政娘 伊奈忠克娘 |
子 | 勝広[1] |
略歴
編集徳川家康の六男・松平忠輝(越後国高田藩)の付家老として、越後三条2万石を与えられた父に付随する。長兄・重忠は将軍家で大番頭を務めていたため、重長が手元に置かれた。
後年、主君・忠輝が改易となるが、その上使を務めたのが弟和泉守勝隆だった。勝隆は、高田より先に三条の父兄の元を訪れ、忠輝除封を報告した。その後、忠輝の家中への申し渡しでは父の重勝と共に、弟とはいえ上使である勝隆に伏し従う形だったと伝わる。