段原一丁目停留場
段原一丁目停留場(だんばらいっちょうめていりゅうじょう、段原一丁目電停)は、広島県広島市南区段原一丁目にある広島電鉄皆実線の路面電車停留場である。駅番号はH4。
段原一丁目停留場* | |
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停留場全景(2009年8月) | |
だんばらいっちょうめ Dambara 1-chome - | |
◄H3 的場町 (0.5 km) (0.4 km) 比治山下 H5► | |
所在地 | 広島市南区段原一丁目 |
駅番号 | ●H4 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■皆実線 |
キロ程 | 0.5 km(的場町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
587[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1944年(昭和19年)12月27日 |
歴史
編集当停留場は1944年(昭和19年)、皆実線の開通と同時に大畑町停留場(おおはたちょうていりゅうじょう)として開設された[2][3]。しかし開業1年も経たない1945年(昭和20年)8月6日に原爆が投下され、皆実線をはじめとした広島電鉄の市内線は全線が不通となる[2]。皆実線が被爆から復旧したのは1948年(昭和23年)のことだった[2]。
戦後、停留場名は段原大畑町停留場(だんばらおおはたちょうていりゅうじょう)と改称される[3]。この「段原大畑町」という町名は1995年(平成7年)に廃止され[4]、停留場名はその6年後に段原一丁目停留場へと改められた[2]。
年表
編集停留場構造
編集皆実線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられている。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームである[6][7]。起点から見て線路の右側に的場町方面へ向かう上りホーム、左側に皆実町六丁目方面へ向かう下りホームがある[6]。
ホームは3両、5両連接車に対応した長さを持つ。かつては道路と同一平面に乗り場が設けられている平面停留場であったが、1974年(昭和49年)9月末にホームが備え付けられ島状となった[8]。
運行系統
編集当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、5号線のみが乗り入れている。
下りホーム | 広島港ゆき・宇品二丁目ゆき・皆実町六丁目ゆき | |
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上りホーム | 広島駅ゆき |
停留場周辺
編集付近は住宅街である。南東には比治山がそびえる。東の路地を入ると骨董品店が並ぶ段原骨董街がある。
的場町停留場から来た列車は大正橋のたもとで西に進路を変え、当停留場に至る[7]。かつてはこの区間に橋と同名の大正橋停留場(たいしょうばしていりゅうじょう)という停留場が存在したが、昭和30年代(または40年代)に廃止されている[3][9]。
バス路線
編集段原通り沿いに「段原一丁目」バス停があり、広電バス[10]・広島バス[11]・広島交通[12]が停車する。
- 段原一丁目 バス停(南行き 大学病院前 / 東雲方面)
隣の停留場
編集脚注
編集- ^ “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
- ^ a b c d e 『広電が走る街 今昔』150-157頁
- ^ a b c d 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、38頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ “廃止町名と現在の町の区域”. 広島市. 2020年3月14日閲覧。
- ^ 河野俊輔「広島電鉄の西広島駅改装とダイヤ改正」『RAIL FAN』第49巻第2号、鉄道友の会、2002年2月1日、10-13頁。
- ^ a b 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、10,82頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103,107頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
- ^ 『広島電鉄開業80創立50年史』広島電鉄、1992年、120頁。
- ^ 『広電が走る街 今昔』116-117頁
- ^ バス情報 路線バス 広電バス
- ^ 路線バス 広島バス株式会社
- ^ 広島市内路線バスのご案内 広島交通
参考文献
編集- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4。
関連項目
編集外部リンク
編集- 段原一丁目 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄