歌川国丸

江戸時代中期の浮世絵師

歌川 国丸(うたがわ くにまる、寛政5年〈1793年〉 - 文政12年11月23日1829年12月18日[1])とは、江戸時代中期の浮世絵師

歌川国丸
ヒト
性別男性 編集
国籍日本 編集
読み仮名うたがわ くにまる 編集
生年月日1794 編集
死亡年月日18291830 編集
使用可能言語日本語 編集
職業浮世絵師視覚芸術家 編集
専門分野歌舞伎役者 編集
弟子歌川重丸歌川年丸歌川輝人 編集
師匠歌川豊国 編集
活動地江戸 編集
ジャンル肖像 編集
コレクション所蔵者国立世界文化博物館シカゴ美術館ヴィクトリア国立美術館 編集
作者の著作権状態著作権保護期間満了 編集

来歴

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本姓は前田、通称文治[1]。伊勢屋伊八とも称す。歌川の画姓を称し、一円斎、五彩楼、軽雲亭、彩霞楼、翻蝶庵と号す[1]。初めは画名を文治と称した。

江戸の生まれで、父は本町二丁目で質屋を営む[1]。初代歌川豊国の門人で、田川鳳朗の門人であったこと以外の詳細は不明[1]渓斎英泉編『無名翁随筆』には「風流に遊び、諸名家の交り深く、俳諧をたのしみとす、鴬立田川鳳朗の門葉なり」とあり、俳名を竜尾と称したという。

作画期は文化から文政にかけての頃で、文化6年(1809年)刊行の合巻『花鳥風月仇討話』の挿絵を初めとして、以後合巻の挿絵を数多く手がけた他、浮絵美人画を残す[1]。一方で、特別に好評を博した作品はなかった[1]。享年37[1]。墓所は浅草新堀端厳念寺。

門人に歌川広重の門人ともされる歌川重丸歌川年丸歌川輝人がいる。初代豊国門下では歌川国安歌川国直と並ぶ筆達者で、三羽烏と呼ばれた。

作品

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版本挿絵

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  • 花鳥風月仇討話』 ※合巻、文化6年刊行。益亭三友作。最終丁に「豊国門人十五歳 文治画」の署名あり
  • 『吾嬬育露之荒事』(あずまそだちつゆのあらごと)三巻 ※合巻、文化9年(1812年)刊行。益亭三友作
  • 昔今猿人真似』(いまはむかしさるのひとまね)三巻 ※合巻、文化12年(1815年)刊行。関亭伝笑作
  • 『亀がせ物語』三巻 ※文化12年刊行。感和亭鬼武作
  • 劇場仕入楓釣枝』 ※合巻、文政7年(1824年)刊行。欣堂間人作
  • 敵討忍笠時代蒔絵』 ※合巻、文政11年(1828年)刊行。柳亭種彦
  • 侠容誧安売』 ※文政12年(1829年)刊行。欣堂作
  • 山洞流悪玉狂言』 ※合巻、文政4年(1821年)刊行。浮世喜楽作
  • 『落咄機嫌上戸』 ※噺本、文化14年刊行。十返舎一九
  • 敵討湊の曙』 ※合巻、天保2年(1831年)刊行。為永春水作、挿絵を柳川重信とともに描く。

錦絵

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肉筆画

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第1巻』岩波書店、1983年10月、288頁。 

参考文献

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  • 渓斎英泉編 『無名翁随筆』〈『燕石十種』第三巻〉 中央公論社、1979年
  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※37頁
  • 『風俗画と肉筆浮世絵 たばこと塩の博物館所蔵肉筆絵画撰』 たばこと塩の博物館、2007年