樋口俊一郎
樋口 俊一郎(ひぐち しゅんいちろう、1953年11月2日)は、日本の財務官僚。近畿財務局長、財務総合政策研究所長、東京税関長、大臣官房政策評価審議官などを歴任。
来歴
編集静岡県出身。東京大学経済学部経済学科卒業。1977年 大蔵省入省(証券局資本市場課)[1]。1982年7月12日 出雲税務署長。
1987年7月 大臣官房文書課長補佐(審査)[2]、1988年6月20日 主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)[3]。1989年6月 主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。1995年6月 主計局主計企画官。1997年7月 主計局主計官(総理府、司法・警察担当)。
2007年7月3日 近畿財務局長兼財務総合政策研究所近畿研修支所長。2008年7月4日 財務総合政策研究所長兼会計センター所長兼大臣官房審議官(大臣官房担当)。2009年7月14日 東京税関長兼税関研修所東京支所長。2010年7月30日 大臣官房政策評価審議官兼大臣官房審議官(大臣官房担当)。2011年8月22日 退官。
翌8月23日から中央大学客員教授[4]。同年11月1日 ライフネット生命保険(株)顧問[4]。2012年6月 同社常務取締役[5]。2016年6月 同社取締役副社長。2019年6月 同執行役副社長。2023年6月 ローソン銀行顧問。同月 同社取締役[6]。2024年5月 瑞宝中綬章受章[7]。
職歴
編集- 1977年4月:大蔵省入省(証券局資本市場課)[1]。
- 1978年7月:証券局業務課。
- 1979年7月:大臣官房調査企画課財政金融研究室。
- 1980年7月:主計局調査課。
- 1982年7月12日:出雲税務署長。
- 1983年7月:経済企画庁総合計画局計画官付。
- 1985年7月:関税局輸入課長補佐。
- 1987年7月:大臣官房文書課長補佐(審査)[2]。
- 1988年6月20日:主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)[3]。
- 1989年6月:主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。
- 1990年6月:日本貿易振興会バンクーバー事務所長。
- 1993年7月:大臣官房企画官 兼 主税局総務課。
- 1994年7月:大臣官房文書課広報室長。
- 1995年6月:主計局主計企画官。
- 1997年7月:主計局主計官(総理府、司法・警察担当)。
- 1998年6月:金融監督庁監督部保険監視課長。
- 2000年7月:金融庁総務企画部信用課長。
- 2001年1月6日:金融庁総務企画局信用課長。
- 2005年7月:国民生活金融公庫理事。
- 2007年7月3日:近畿財務局長 兼 財務総合政策研究所近畿研修支所長。
- 2007年7月10日:近畿財務局長 兼 財務総合政策研究所近畿研修支所長 兼 近畿財務局総務部長事務取扱。
- 2007年7月13日:近畿財務局長 兼 財務総合政策研究所近畿研修支所長。
- 2008年7月4日:財務総合政策研究所長 兼 会計センター所長 兼 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
- 2009年7月14日:東京税関長 兼 税関研修所東京支所長。
- 2010年7月30日:大臣官房政策評価審議官 兼 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
- 2011年8月22日:退官。
脚注
編集- ^ a b 『大蔵省名鑑 1997年版』時評社、1996年12月発行、48頁
- ^ a b 『職員録 昭和63年版 上巻』大蔵省印刷局、1987年発行、494頁
- ^ a b 『週刊金融財政事情 第39巻 第25~36号』 金融財政事情研究会、1988年発行、73・74頁
- ^ a b 国家公務員法第106条の25第2項等の規定に基づく国家公務員の再就職状況の公表(総括表)(平成23年4月1日?平成24年3月31日分) (PDF) 内閣官房、総務省 平成24年9月7日
- ^ 【人事】ライフネット生命保険(2012年6月24日) 異動ニュース
- ^ 役員人事ローソン銀行
- ^ 春の叙勲 金融界から23人ニッキン2024.05.02 16:05
官職 | ||
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先代 振角秀行 |
財務省大臣官房政策評価審議官 2010年 - 2011年 |
次代 本田悦朗 |
先代 大前忠 |
東京税関長 2009年 - 2010年 |
次代 梅本守 |
先代 石井道遠 |
財務総合政策研究所長 2008年 - 2009年 |
次代 佐々木豊成 |
先代 式部透 |
近畿財務局長 2007年 - 2008年 |
次代 森川卓也 |
先代 二宮茂明 |
国民生活金融公庫理事 2005年 - 2007年 |
次代 坂本正喜 |