植田惣五郎
植田 惣五郎(うえだ そうごろう、1855年9月12日(安政2年8月2日)[1] - 没年不明)は、日本の篤農家[2]、実業家。植田合名会社代表社員[1][3][4][5][6][7][注 1]。族籍は山口県平民[1][7]。
経歴
編集長門国彦島(現・山口県下関市)出身。植田惣三郎の長男[1][6][7]。1874年、家督を相続した[1][6][7]。三菱を背景として弟子待及び江ノ浦一帯の海岸を埋築して貯炭場を作り、あるいは数10隻に余る帆船を造り、ほとんど全国にまたがり海運業を営み、日清、日露戦役から欧州大戦にかけてにわかに家運膨張し、一躍巨万の富をなした[8]。
人物
編集三菱の引立てがあったといえども惣五郎の手腕と英断がなければ成功は成し遂げられなかった[8]。蓄財の反面子弟の教養に意を注ぎ、末子2人は帝大を卒業して三菱社員となった[8]。
植田惣五郎について『商工資産信用録 第33回 中国四国版』には「調査年月・1932年4月、正身身代・H、信用程度・A、職業・石炭運送[4]、労力請負」とある[9]。
『商工資産信用録 第39回 九州防長版』には「調査年月・1938年5月、正身身代・J、年扱高又は年収・不詳、信用程度・A、職業・貸地貸家、労力請負」とある[10]。また1934年に刊行された『山口県史 下巻』には「剛腹果敢の人材で終始海運界に雄飛し78歳の長寿を保ち尚矍鑠として壮者を凌ぐの元気を保有」という記述がある[3]。
家族・親族
編集- 植田家
- 父・惣三郎[6]
- 母・ハマ(1831年 - ?、山口、藤田権左衛門の長女)[1][7]
- 妻・ハツ(1856年 - ?、山口、中村庄五郎の長女)[6]
- 男・松蔵[6][11](1876年 - ?、植田合名会社代表) - 1921年に家督を相続する[11]。
- 二男・末蔵(1881年 - ?、彦島町長) - 江ノ浦に一家を設立する[8]。
- 男・惣右衛門(1892年[6] - 1929年[3]) - 1918年に東京帝国大学法科大学法律学科を卒業する[12]。1929年に逝去[3]。
- 男・虎吉(1894年 - ?、石景山製鉄鉱業所理事長)[11] - 1919年に東京帝国大学政治科を卒業する[11]。三菱製鐡に勤務[3][11]。
- 長女・ヤス(1873年 - ?、山口、植田金蔵の長男・平吉の妻)[1][7]
- 二女・ミツ(1879年 - ?、山口、河野久左衛門の養嗣子・三吉の妻)[1][7]
- 三女・トナ(1884年 - ?、山口、升田音松の養子・貞吉の妻)[1][7]
- 五女・トメ(1897年 - ?、山口、植田謹治の妻)[7]
- 孫[7]
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』う19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月9日閲覧。
- ^ 『大日本篤農家名鑑』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『山口県史 下巻』247頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月24日閲覧。
- ^ a b 『大日本紳士名鑑』山口県41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年1月16日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第21回』山口県 下編1037頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 上』ウ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第5版』う25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月10日閲覧。
- ^ a b c d 『彦島大観』166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』山口県なむう之部16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月15日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第39回 九州防長版』山口県ウエオ之部5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月15日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』ウ34 - 35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月13日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科82 - 83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月23日閲覧。
参考文献
編集- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第21回』商業興信所、1913年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』東京帝国大学、1913-1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 加瀬谷弥一『彦島大観』関門報知新聞社、1926年。
- 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。
- 山口県史編纂所編『山口県史 下巻』山口県史編纂所、1934年。
- 『商工資産信用録 第39回 九州防長版』商業興信所、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。