植村家言

日本の江戸時代前期~中期の大名。大和高取藩2代藩主植村家貞次男で、高取藩3代藩主。従五位下出羽守

植村 家言(うえむら いえのぶ)は、大和高取藩の第3代藩主

 
植村家言
時代 江戸時代前期
生誕 寛文3年(1663年
死没 元禄9年3月18日1696年4月19日
改名 万之助・家知(幼名)、家言
戒名 幽山素玄高性院
墓所 東京都港区の如来寺
官位 従五位下、出羽
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
大和国高取藩
氏族 植村氏
父母 植村家貞
兄弟 政成家言政明正澄
正室松平信之の娘・誓教院
継室酒井忠直の娘・玄好院
亀松、娘(九鬼隆抵正室)、娘
養子家敬
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略歴

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寛文3年(1663年)、第2代主・植村家貞の次男として生まれる。政成病弱だったため、貞享4年(1687年)8月25日、父の隠居で跡を継いだ。このとき、弟の政明に1000石、正澄に500石を分与したため、高取藩は2万500石となった。元禄元年(1688年)、弟の政明の罪に連座して処罰されている。

元禄9年(1696年)3月18日に死去した。享年34。跡を政成の息子で養子の家敬が継いだ。