板倉勝矩
板倉 勝矩(いたくら かつのり)は、江戸時代中期の大名。陸奥国福島藩7代藩主。官位は従五位下・河内守。重昌流板倉家第10代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 寛保2年5月14日(1742年6月16日) |
死没 | 安永4年12月26日(1776年1月17日) |
霊名 | 西尾市の長圓寺 |
官位 | 従五位下・河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 陸奥福島藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 |
板倉勝清 板倉勝行 |
兄弟 |
勝暁、北条氏興、内藤正久、本堂親房、 勝矩、勝意、板倉重治養女、 水野忠見正室、土井利厚正室 |
子 | 勝長、勝幹、内藤頼以、琴ら |
略歴
編集安永2年(1773年)、先代藩主・板倉勝行の急逝により、養子となって家督を相続した。安永4年(1775年)に死去し、跡を次男の勝長が継いだ。
系譜
編集父母
子女